「生き物の研究者」を目指した子ども時代

赤畑は1973年、広島県の尾道で生まれた。幼い頃から虫が好きで、機械では表現できない精巧な体の作りや動きを見ながら、「すごいなあ」とひとり静かに心を震わせていたという。小学生になると、『ドリトル先生』シリーズや『シートン動物記』のような、動物にまつわる物語もよく読んだ。中学受験をして、私立の関西学園 岡山中学・高等学校(岡山中学)に進んだ時には、「生き物の研究者になりたい」と思うようになっていた。

赤畑渉氏
赤畑渉氏

中高一貫校なので、入学すると高校まで通う生徒が大半だが、赤畑は高校受験をして広島大学附属福山高校に進学した。

「岡山中学には関西からいろいろな人が来ていて、同級生には、現在、衆議院議員の橋本岳くんやゲーム開発・運営を手掛けているgumiの社長の國光くん(gumi創業者の國光宏尚氏)もいました。楽しい学校ではあったんですが、入学してすぐの頃から『6年間も寮生活をするのは嫌だな』と思っていたので、初志貫徹で受験をし直しました」

岡山中学ではカリキュラムを前倒しで進めていたので、中学3年生の時には高校1年生の勉強を終えていた。広島大学附属福山高校では、岡山中学でひと通り勉強した授業が始まって、「非常につらかった」。

高校2年生になってからは、担任とまったくそりが合わず、顔を合わせたくない一心で、朝の会はほぼ欠席。「その頃のことは、あまり思い出したくないですね」と苦笑する。

カメルーンで実感したワクチンの重要性

子どもの頃に抱いた「生き物の研究者になりたい」という想いは、東京大学理科二類に進学してからも変わらなかった。その目標がより具体的になったのは、京都大学ウイルス研究所の速水正憲教授との出会いから。学生時代、自分がなにを研究すべきか迷っていた時に、当時、猛威を振るっていたHIVのワクチン開発に取り組んでいた速水教授の存在を知り、ウイルスへの興味が湧いた。

「ウイルスって『生物と無生物のあいだ』と言われていて、生物っぽいけど無生物なんですよね。そういう意味で、精巧に動く虫のもっと先にあるウイルスの世界って非常に面白いなと思ったんです。それに、HIVのワクチン開発に取り組む速水先生の姿を見て、自分もやるからにはインパクトの大きなことをしたいなと思って」

1997年、京都大学大学院人間環境学研究科に進学。速水教授のもとでウイルスやワクチンについて学び始めた赤畑にとって、忘れられない思い出がある。博士課程1年生の時に、ウイルス研究所のメンバーと行ったカメルーンだ。