大学キャンパスで見られた反ユダヤ主義をめぐる憤りは、米国の大学における責任の取り方を示す、まれで歓迎すべき事例になった。しかし、幾つかの大学で学長が辞任しただけで幕引きとなってしまえば、大した前進があったとは言えない。先週の議会公聴会でエリート大学3校の学長が見せた対応の大きな成果は、米国の学会の大部分に広がっている学術的、政治的腐敗が白日の下にさらされたことだ。ユダヤ人に対する大量虐殺を擁護することは大学の行動規範に反しないのかと問われた際、大学の指導者である彼らが行った曖昧な発言は、世界を驚愕(きょうがく)させた。しかし、こうした事例は、あまりにも多くの有名大学で風土病のようになっている価値観形成システムが明るみに出ただけのことだ。