世界最古の自筆日記

 道長の日記は『御堂関白記』と呼ばれる。ただ、これは江戸時代になって広く流布した名称であって、道長が自分の日記に名前をつけたわけではない。死後、その名が定着するまでは、さまざまな名称で呼ばれてきた。

 ちなみに『御堂関白記』の「御堂」とは、自身の建てた法成寺に住んで御堂殿と呼ばれたことに由来する。なお、「関白」は道長が関白になって摂関政治の全盛期を築いたからだろうと思うかもしれない。しかし道長は摂政にはなったものの、1度も関白に就いたことはない。摂関政治というイメージから後年、勘違いされたのだ。

 日記は、朝廷のトップに立った30歳から25年以上書き続けたものである。ただ、当初は記述もまばらだったが、完全に権力を握った「寛弘年間に入ってくると詳細になり、寛弘・長和・寛仁年間の記述が最もくわしい」(山中裕著『人物叢書 新装版 藤原道長』吉川弘文館)という。

 現在、自筆本14巻、古写本12巻、抄出本が現存し、いずれも国宝である。研究者の倉本一宏氏は、「『御堂関白記』の最大の特色は、何といっても記主本人の記録した自筆本が残っているという点にある。当然のことながら世界最古の自筆日記」、「世界的に見ても、ヨーロッパはもちろん、中国や朝鮮においても、古い時代の日記は残されていない」、「いかに『御堂関白記』の自筆本が貴重な史料であるかが理解されよう」(倉本一宏著『藤原道長の日常生活』講談社現代新書)と高く評価している。そう、意外に知られていないが、道長は世界最古の自筆の日記を残しているのである。

 その内容だが、「寛弘元年(1004)には、今まで見られなかった儀式の記述が見え始め、2年になるとそれらの記述がいちじるしく多くなり、また外戚の臣としての道長家の発展および内覧・左大臣としての政務に関する記述もだんだんと多くなってくるのである。と同時に儀式についての記述が、非常に多くなってくる」(山中裕著『人物叢書 新装版 藤原道長』吉川弘文館)という。

 そういった意味では、典型的な平安貴族の日記といえよう。ただ、他の日記と異なる特色も見られる。それは、家族についての記事が多いことである。山中氏は「道長は、源倫子とよほど仲のよい夫婦であったのであろう。妻のことをとくに詳しく書いている。妻の行動をこれほど詳しく書く公卿の日記は少ない」(前掲書)とし、さらに「(子供たちの)行動を大変詳細に叙述している」(前掲書)と述べている。

 そして、「こみ上げてくる道長の喜びの深さなど、公卿の日記としては珍しい記述が見られ、まるで女流日記と思わせるような感激の叙述をしているところも存する」、「道長の政治家としての人間性、彼の思想、感情などが大変よく表れているのは、他の日記には見られないところなのである」(前掲書)と論じる。