誤報を前提に、作戦を大幅変更
8万人近い日本人兵が戦死
なんと、実際には、ただの1隻も沈んではいなかった。わずかに巡洋艦2隻大破、空母2隻・軽巡洋艦2隻に軽微な損害。
戦果誤認の原因は、戦果を確認できるベテランパイロットが圧倒的に少なく、攻撃を終えて帰還した者たちの自己申告が戦果となったこと。
あるいは、大本営発表の前に軍内部で検討し、「偵察では、昨日は敵空母5隻を確認したが、今日は空母を2隻しか確認できなかった。だから今日の戦果は3隻だ」という単純計算の積算によった。
開戦以来、ベテランパイロットの多くを失ったため訓練途上のパイロットを多用、しかも米軍の圧倒的な弾幕の中で、果たしてこれほどの戦果が出せるものか?さすがに指揮を執っていた第二航空艦隊や連合艦隊では疑問も出ていた。そこで、海軍内で検討会議が開かれた。
結果は、「多くて敵艦4隻撃沈」となり、米機動部隊は健在だろう、という結論に至った。ここで第2の「戦果が誤報と分かっても、それを修正しないどころか、味方にすら真実を明かさなかった」という問題点について述べたい。
誤報そのものをマイナス10点だとすれば、海軍が誤報を陸軍に伝えなかった罪は、その10倍以上罪深いことであると考える。
なぜなら、陸軍は海軍の「大戦果」を前提にしてフィリピン作戦を大幅変更。結果、8万人近い日本陸軍の将兵が圧倒的な米軍の戦力によって戦死したからである。
台湾沖航空戦の直後、米軍がフィリピン南部レイテ島に上陸を開始。「米機動部隊は壊滅」という海軍の報告をうのみにしていた陸軍首脳部は、これで敵機の攻撃はないと考え、直ちにフィリピン南部への攻撃を命令した。
フィリピンの第14軍方面司令官・山下奉文大将は大反対する。陸軍はそれまでフィリピン北部のルソン島で、決戦に備えた兵員や物資の集積を行い、陣地も築いていたのに、南部に移動となれば、兵員など輸送途上で攻撃を受けることは間違いない。
そもそも、敵機動部隊は壊滅したのか?マニラ近郊にいた山下は、収まる気配のない敵機による空襲や各種情報を総合し「敵の機動部隊はかなり残っている」と予測した。
しかし陸軍首脳、参謀本部は海軍の戦果を疑わず、「神機到来!」と、山下にレイテ攻撃を下令。山下はやむなく、準備のない南部に大規模増援を行なった。
結果は、惨憺(さんたん)たるものであった。