サッカーと野球「どっちがタイパ悪い?」若者がスポーツ観戦に抱くホンネとは?Photo:PIXTA

昨今の若者の消費行動において、時間的な効率のよさを意味する「タイパ(=タイムパフォーマンス)」は、最重要なキーワードだ。そんな彼らは、国民挙げたスポーツの祭典に臨んで表面上は派手に盛り上がるが、じつは、「あのシーン見たよ、よかったよね」とコミュニケーションするための瞬間的な消費でしかないという。本稿は、廣瀬涼著『タイパの経済学』(幻冬舎新書)の一部を抜粋・編集したものです。

見知らぬ誰かとつながるために
スポーツが消費されている

「若者のスポーツ離れ」という言葉を耳にすることが増えた。とくにサッカーは、本来は90分間、その瞬間瞬間が生み出すストーリーを消費して楽しむことが普通だったが、最近では試合内容よりも、群衆の盛り上がりそのものから高揚感を得るような若者も増え、サッカーの試合観戦は本質的に「コミュニケーションツール」としての側面が大きくなっている。

 日本代表戦後に渋谷のスクランブル交差点に人々が集い勝利を祝福し合う『あの図』は今や風物詩となった。ファンなのかただ盛り上がりたいだけなのかもわからない若者たちが「日本最高~」とテレビのワイドショーやニュースで騒いでいるところを観るまでが日本代表戦(報道)のパッケージともいえるだろう。

 そのなかに熱心なファンがいないとは言わないが、ドン・キホーテやAmazonで買ったと思われるその場限りの日本代表風のTシャツを着て、インタビューの後ろでピースしている人々を見ると、日本代表戦だろうとハロウィンだろうと関係なく、ただ群衆とともに盛り上がる口実が欲しいだけのように見えてしまうのは筆者だけだろうか。

 社会学者の鈴木謙介はワールドカップやオリンピックの盛り上がりを「日常生活の中に突如として訪れる、歴史も本質的な理由も欠いた、ある種、度を過ぎた祝祭」と表現し、「カーニヴァル化」と名づけている。現代社会は、共同体や伝統や組織といった確固たる基盤が失われているがゆえに流動的であり、一方、人々は常に自身の帰属心を得る源泉を求めている。

 そして今や私たちは、確固たるコミュニティに自身を帰属させなくても、「つながりうること」で生まれる共同性によって帰属心や仲間意識を充足することが可能となった。パブリックビューイングやスポーツパブなどでの他の客との交流は、「サッカー」でつながりうることをきっかけとした瞬発的な盛り上がりによって、人々の集団への帰属心の源泉となっている。

 この瞬発的な盛り上がりが「カーニヴァル化」であり、まさに「その日」「その場所」「その時間」でしか体験できない「トキ消費」の本質ともいえるだろう。

 ただ、このような層にとっては90分フルで試合を観なくても、試合後にこれでもかというくらいに流れるハイライトシーンを観るだけで、盛り上がりに必要なネタは充足できるわけで、テレビにかじりついてすべてを観ること自体はタイパが悪いといえるだろう。