ハンムラビ法典は、すべての条文が完全なかたちでのこっている法典としては、世界最古のものだ。

 ということもあって、さぞ立派な法律と思っている人も多いだろうが、それは誤解に近い。なにしろ、4000年も前の社会通念・モラルに基づいて成立した法律、現代の目からみれば、驚くような条文が並んでいる。

 たとえば、全237条の第1条は、「人を死刑に価すると訴えて立証されなければ、死刑に処す」。まるで、トランプゲームの「ダウト」のようなシステムだ。しかも、立証する手段がないときは、被告者を水に投げ込んで溺れて死ねば有罪。生きて浮かんでくれば無罪で、逆に原告が死刑になる、というように、現代の目からみれば、乱暴きわまる法律が並んでいる。

「黄巾の乱」「赤壁の戦い」…
三国時代の人口を激減させた『三国志』の背景

 後漢末から、魏、呉、蜀が分立して晋が統一をはたすまでの三国時代は、大勢のヒーローが登場した時代である。蜀の劉備、魏の曹操、呉の孫権のほか、諸葛孔明、関羽、張飛らの活躍は、『三国志』でおなじみだろう。

 彼らが登場した後漢末は、外戚と宦官の勢力が大きくなり、大土地所有が進行して、農民の生活がひじょうに苦しくなった時代だった。そして、184年に「黄巾(こうきん)の乱」と呼ばれる農民反乱が起きると、各地で立て続けに反乱が起こるようになり、地方の治安はメチャクチャになった。

 だが、すでに末期症状を呈していた漢王朝には、その反乱を鎮圧するだけの力はなく、兵力をもつ豪族に官位を与えてこの事態を乗り切るしかなかった。

 そのなかから、頭角を現したのが魏、呉、蜀の3国である。とくに、華北を支配した魏は3国のうち最大最強で、曹操は天下統一まであと少しのところにいた。

 ところが、208年の「赤壁の戦い」で、蜀の劉備と呉の孫権の連合軍に、曹操は大敗を喫する。

 もし、曹操がこの戦いに勝っていたら、まちがいなく天下を手にしていただろうが、歴史はそうならなかった。この敗北で曹操は中国統一をあきらめ、中国の分裂は決定的になった。