まずは、過去に置き忘れてきたことはないか振り返ってみよう

 このように見てくると、組織人間としてうまくやっていた人ほど自己疎外とともに思考停止状態に陥っていたことになる。組織生活への過剰適応によって、自分の欲求や気持ちが強く抑圧され、自分が分からなくなってしまったのである。

 定年後には稼ぎにそこまでこだわる必要もないし、組織に縛られることもない。そこで自分自身を取り戻すために考えたいのは、稼ぐために犠牲にしてきたこと、断念したことは何かなかったかということである。

 若い頃、やりたいことがあったけど、それで食っていくのは無理だと思って諦めた。そんなものはなかったか。

 興味があったし、やってみたいと思う趣味があったけど、仕事が忙しくてなかなか踏み出せなかった。あるいは、かつては打ち込んでいた趣味があったのだが、働き盛りになってからは仕事で忙しくなり、休日はぐったり疲れてしまい、趣味どころではなかった。そんなことはなかったか。

 そのときの仕事よりやりがいのある仕事への転職のチャンスがあったのだが、収入が減るため、家族のことを考えて断念した。そんなことはなかったか。

 このように思い返してみれば、誰でも何か思い当たることがあるのではないか。特に大それたことでなく、ちょっとしたことでもヒントになる。

 たとえば、若い頃から走るのが好きで、定時に帰宅できたときは近くの川辺をよくジョギングしていたが、これからは通勤もないので、体力維持のために毎日ジョギングをして、できればマラソン大会とかにも出てみたいという人もいる。

 器用なほうで何かを自分の手で作るのが好きなのだけど、現役の頃は忙しくて家で何かする余裕がなかったので、定年退職後は、自分で家の内壁を崩して塗り替えたり、リビングの床を張り直したり、台所を改装したりと、DIYに凝って充実した時間を過ごしているという人もいる。

 仕事人間として暮らしながらも趣味人の生活に憧れを持っていたので、定年退職を機にテレビの俳句講座を視聴し、拙い俳句を詠むのが楽しくなり、昔の俳人の足取りをたどる旅行をしながら俳句を詠んだりして趣味人の生活を楽しんでいるという人もいる。

 学生時代は山歩きが好きでよく出かけていたけど、就職してからはそんな暇もなく、たまに暇があっても気力が湧かず、遠ざかっていたけど、定年退職後に久しぶりに山歩きに出かけてみたら、その魅力に取り付かれ、今は毎週いろんな山に出かけているという人もいる。

 退職後の自由な生活の楽しみ方、充実のさせ方が分からないという人は、こうした事例を参考に、稼ぎのためにできずにいたこと、諦めたことなどを思い返してみてはどうだろうか。