自己疎外は有能な働き手に生じがちな病理

 だからといって、自分自身の欲求や気持ちを疎外してきたことが悪いというのではない。職業生活の真っただ中で、自分の欲求や気持ちを始終意識していたら仕事にならない。そういう自意識を遮断しないと有能な働き手でいられない。その意味でも、自分自身の欲求や気持ちを疎外するのは、組織に適応するための有効な戦略だったのである。

 組織における役割に徹していれば、無事に職務を果たせるし、それに見合った報酬が与えられる。肯定的な評価が得られるし、自分なりの達成感も得られる。

 それに対して、自分の欲求や気持ちをもっと大事にしたいと思い、「毎日毎日ノルマ達成に追い立てられる生活なんて虚しい」「これが、自分が思い描いていた人生だったのだろうか」「もっと自分が納得できる生き方があるのではないか」などと、日々の仕事生活に疑問を抱いたりしたら、職務に邁進(まいしん)することができなくなる。

 さらには価値観の絡む葛藤まで生じ、「うちの会社の商品は、本当に人々の生活向上のためになっているのだろうか」「こんな営業活動をするよりも、もっと考えないといけないことがあるのではないか」などと考え込んでしまったら、組織にとって都合のいい人材としての動きが鈍りかねない。

 いわば、組織において有能な働き手として何の疑問もなく働いてきた人は、組織に適応し安定した生活を手に入れる代わりに、自己疎外による思考停止に陥っていたのである。そんな状態が何十年も続いてきたわけだから、自分の欲求や気持ちが分からなくなっているのもやむを得ないことといえる。