戦場で勝利しても、戦場で敗北しても、あるいは皇帝のときも、島流しにされても、自分の人生の外側の状況がどんなになっても「私は幸せです」ということである。

 天才ナポレオンでさえ、3分の1は負け戦だという。負けが怖ければ戦えない。

 失敗しても幸せ。負けても幸せ。そこにナポレオンの偉大さがある。ナポレオンは戦いに勝ったことで偉大なのではない。

 偉大さには、社会的偉大さと心理的偉大さがある。このことを忘れてはいけない。

 失敗にもいろいろな失敗がある。取り返しのつかないような失敗もあれば、どうでもよいような失敗もある。

 長い人生には、やはり失敗があり、成功があり、不運があり、幸運があり、山あり谷ありでないと、振り返ってみたときに何もない人生でつまらないものになってしまう。不運もあり、失敗もあったが、順風満帆の時代の成功もあった。そういう人生の方が充実した人生である。

 晩年に「我が人生に悔いなし」と言う人で、失敗がないという人がいるだろうか。いない。絶対にいない。

「我が人生に悔いなし」と言って死んでいった加藤政之助も明治憲法の制定に際し、イギリス流の立憲君主制、政党内閣、二院制実現のために頑張ったが、受け入れられなかった。

 昭和の時代に入り、軍部だけでなくマスコミも国民の多くも軍備拡大を支持する中で、国会で軍縮演説を行った。軍部に対して「殺すなら殺せ」と言わんばかりの演説である。しかし軍備拡大が支持された。

 最後は第二次世界大戦で、日本はイギリスやフランスと組んで、ヒトラーと組むべきでないと主張しながら通らなかった。

「我が人生に悔いなし」と言って死んでいくためには、自分の内から湧いてきた「適正な目的」を持って生き抜くことである。成功することではない。

 自分の潜在的可能性を伸ばすこと。自分の花を咲かせること。そこにエネルギーを使う。そのためには失敗は欠かせない。

 自分の能力を使う能力が、幸せになる能力である。結果として成功するか、失敗するかはマイナーな問題である。

*注1
Alina Tugend, Better by Mistake, Riverhead Books New York, 2012, p.17