「私のキャリアの中で機材開発に関わるのは初体験だったので、痩せる思いがした。自宅ガレージの中で機材をいじくるのとは異なる領域で、とてもいい経験だった」

 軽快な語り口で振り返りはじめたベトゥが、次第に真剣な表情に変わると核心を話し始めた。

「開発を始めるにあたって私から伝えたことは、風洞実験室に自転車を固定してデータを取っても意味がないこと。まず自転車にマネキンを乗せて空力の研究開発をすることにこだわった」

 ベトゥの真意はこうだ。自転車競技ではフレームやパーツの部分よりも、それに乗る人間自身に多くの空気抵抗がかかる。とりわけ頭部や肩周り、両脚の前面などにより大きな風圧が加わる。乗り手の体がマシンに覆われるモータースポーツとはそのあたりが根本的に異なる点だ。

内野艶和(左)と垣田真穂 ©JCF/Takenori WAKO内野艶和(左)と垣田真穂 (c)JCF/Takenori WAKO

 世界最強のパーツメーカーと呼ばれるシマノもこの空気抵抗という課題で大失敗し、一時は会社の存続さえ危ぶまれるほどの窮地となった黒歴史がある。本場欧州に進出した後に苦戦した1970年代、シマノは「イノベーションで勝負だ」と50億円をかけて巨大な風洞実験室を設置し、あらゆるデータに裏打ちされたエアロ新製品を発売した。ところが部品だけがエアロ(空力)効果を発揮しても速く走れるわけではなく、独りよがりな開発に酔いしれて、市場の声を聞かなかったために全く売れなかった

 結局のところ、その反省のもとに市場リサーチを綿密に行い、開発陣とそれらの情報を共有したものづくりへと転換したことでシマノは世界一になるのだが…。詳細は拙著「シマノ〜世界を制した自転車パーツ〜堺の町工場が世界標準となるまで」(光文社刊)に詳しい。

 パリ五輪で金メダルを目指す今回のプロジェクトでも、失敗を重ねながらも完璧な自転車を目指す開発の日々が続いた。TCM-1でまず基礎的な性能を確認し、さらに自由な発想でより高いレベルで世界最速モデルを目指す環境が整った。