「最高」を「最幸」と書くことで、スポーツマンやビジネスマンの士気を鼓舞する効果が生まれる。だが、行政までもが用いるようになったことで、うさんくさい“お仕着せの感動”も見えてきた。本稿は、神戸郁人『うさんくさい「啓発」の言葉 人“財”って誰のことですか?』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
SNSで遭遇した未知の表記
「最高」かと思いきや「最幸」
「最高です」ではなく、「最幸です」と書かれた文章を、目にするときがありませんか?「幸せであること」を、本来の字面を変えてまで、ことさらに強調する――。
そのような態度は、ビジネスの現場から、行政が掲げる施政方針に至るまで、あらゆるシーンに浸透しています。背景に、どういった事情があるのか。調べてみると、すぐには解決困難な課題と向き合うための突破口として言葉の力を利用したいという、使い手側の心理が見えてきました。
今から15年ほど前のことです。筆者が当時よく利用していたSNS「mixi」には、日々の出来事をつづる「日記」というブログ機能があります。ある日、知人が投稿した文章に、「最幸」の二文字が含まれていました。
「今日は最幸の一日だった」「最幸の出会いに感謝」。おおよそ、そのような内容だったと記憶しています。仲間内での会食などについて報告する日記に、幸福ぶりを誇示するようにして、「最高」ではなく「最幸」を多用していたのが印象的でした。
未知の表記を目にしたとき、微かな違和感と共に、心に様々な疑問が浮かびました。わざわざ字句を書き換えるのは、なぜなのだろう。「最高」ではいけないのだろうか――。
この頃、「最幸」は、ごく一部でしか流通していない言葉だと思っていました。しかし注意深く観察してみると、スポーツ選手のコメントを始めとして、様々な形で使われていることに気づいたのです。
こうした当て字を含む語句を「啓発ことば」と名付け、その起源を探求してきた筆者。社会の中でどう受け入れられてきたのか、がぜん知りたいという欲求が湧いてきます。そこで、メディア上での取り扱いについて、調べてみることにしました。
学生がスローガンとして
「最幸」を多用する理由
新聞や雑誌などの記事検索サービス「日経テレコン」で「最幸」と打ち込み検索してみると、345件ヒットします。このうち人名情報などを除いたところ、2000年代には登場していたことが分かりました。