唾液はどこから出ているのか?、目の動きをコントロールする不思議な力、人が死ぬ最大の要因、おならはなにでできているか?、「深部感覚」はすごい…。人体の構造は、美しくてよくできている――。外科医けいゆうとして、ブログ累計1000万PV超、Twitter(外科医けいゆう)アカウント10万人超のフォロワーを持つ著者が、人体の知識、医学の偉人の物語、ウイルスや細菌の発見やワクチン開発のエピソード、現代医療にまつわる意外な常識などを紹介し、人体の面白さ、医学の奥深さを伝える『すばらしい人体』。坂井建雄氏から(解剖学者、順天堂大学教授)「まだまだ人体は謎だらけである。本書は、人体と医学についてのさまざまな知見について、魅力的な話題を提供しながら読者を奥深い世界へと導く」と絶賛されている。今回は著者がダイヤモンド・オンラインに書き下ろした原稿をお届けする。
気になる穴
トローチといえば、駄菓子のフエラムネにも似たドーナツ型の製剤だ。のどの痛みなどの緩和を目的に、昔から広く使われてきた薬である。
トローチにはなぜ穴が空いているか、ご存じだろうか?
実は、誤って飲み込んで喉に詰まった時の「窒息防止」のためである。過去に、トローチによって窒息死する事故が多発したため、空気の通り道として穴を空け、万が一の時にも呼吸ができるようにした、ということだ(1)。
空気の通り道を「気道」という。何らかの理由で気道が詰まると、人はまたたく間に命の危機にさらされる。息ができない状態を想像すれば、誰しもその苦しさを容易に想像できるだろう。
ひとたび窒息すると、タイムリミットはほんの数分。あっという間に体は酸素不足に陥り、脳の機能が失われ、じきに心臓が止まってしまう。
医療現場では、圧倒的緊急事態であるこの状態を「気道緊急」という。少なくとも、救急車を呼んで到着を待つタイムスパンでは間に合わない。
即座に気道を再開通しなければ、命を救えない。まさに、分単位で患者の運命が大きく変わる、恐ろしい現象である。
人類の不便すぎる仕組み
だが、考えてみれば不便な話だ。ほんの数分、呼吸を止めるだけで、生命は機能を失ってしまう。私たちは、1分間に約18回、実に1日約2万5千回の頻度で呼吸し、酸素を取り込み続けなければ生きられない。
人体には、酸素のストックがないからだ。
一方、私たちは仮に丸一日食事をしなくとも、すぐに命を失うことはない。人体は常にエネルギーを必要としているが、燃料にはストックがあるからだ。
酸素のマネジメントが、まさに「自転車操業」であるのがよく分かるだろう。
もう一つ、人体の不便なことといえば、「食事の入り口と空気の入り口が同じ」であることだ。それぞれの通り道はのどの奥まで共通で、喉頭と呼ばれる部分から食道と気道に分岐する。
あろうことか、毎日気道の入り口から、固形物を何度も取り込んでいるのが私たちなのである。毎年、正月になると多くの人が餅をのどに詰まらせて救急搬送されるのも、考えてみれば無理もないことだ。
わずかな酸素を吸収する
さらに不便なことがある。
私たちは、一回の呼吸で吸い込んだ酸素を全て利用できるわけではない。吸気(吸った息)と、呼気(吐く息)の組成を知ると、そのことがよく分かる。
吸気に含まれる酸素は21パーセント。もちろんこれは大気の組成と同じである。一方、呼気に含まれる酸素は17パーセント。実は排出する空気にもたくさんの酸素が含まれているのだ。
では、二酸化炭素はどうだろうか。吸気の二酸化炭素は大気と同じく0.03パーセントだが、呼気の二酸化炭素は4パーセントである。
つまり、吸気の中の酸素も、二酸化炭素よりはるかに多いのである。「呼吸」とは「酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す行為」だと漠然と考える人が多いかもしれないが、実は吸気と呼気の組成は大きく変わらない。
私たちは、一回で吸い込んだ空気からわずかな酸素を吸収し、エネルギー源にしているのである。私たちが無意識に行う呼吸という行為は、かくも労の多い営みなのだ。
【参考文献】
(1)日清薬品工業株式会社「ニッシンのトローチ」
https://www.nissin-yk.co.jp/troche/
(※本原稿は『すばらしい人体』の著者山本健人氏による書き下ろしです)