誰かが言った。スポーツカーとは科学と技術の粋であると。とはいえ、あまりにも科学と技術に偏ったそれだと、サーキット場でレースに参加するような車ならいざ知らず、ごく普通の人が公道で、時にドライブを、時にちょっとしたスポーティな走りを楽しめるような車にはならない。

 このスポーツカーとして世に出すものの、ごく一般の人が公道で走れる、加えて乗り手が乗っていて心地いい――乗り心地と機械としての車の性能を同時に楽しめる車。そうした作り手の弛まぬ努力とバランス感覚があるからこそ1969年の初代の発売時から令和の時代の7代目まで、長くバトンが引き継がれることになったのだろう。酒井は言う。

「『Z』がいいなと思うのは伝統です。欧州はそういう伝統とかすごく大事にします。伝統を引き継ぎながら新しいものを生み出す。そこに近親性を感じます。1969年から今日まで引き継いでいますよね。すごく大事なところで繋いでいく。まさにアートです――」

ペーパードライバーが
ポルシェの虜になるまで

ポルシェと唯一肩を並べる「昭和なスポーツカー」とは?クルマ好きの世界的作曲家が認めたその“スゴみ”【試乗記】作曲家・酒井健治氏の愛車「ポルしろー」こと、ポルシェ『911カレラ』。名前をつけることで、生なき機械である車に命を吹き込む。人馬一体ならぬ「人車一体」といったところか

 私生活では愛車「ポルしろー」こと、ポルシェ911カレラのステアリングを握る酒井だ。さぞ10代、20代の若いうちから車に親しんできたのだろうという印象を、読者の中にも抱く向きが多いのかもしれない。

 だが、意外にも車に乗り始めたのは、欧州から帰国後、比較的最近のことだという。

「(欧州から)日本に帰ってくるまで車には乗っていませんでした。パリとかローマといった首都では、地下鉄など交通網が発達していますし。だから車に乗る機会がなかった。自動車免許を取ったのは大学生の頃だったんです。それでも乗る機会がなかったです」

 長くペーパードライバーだったという酒井が、ポルシェを愛車とするようになったのは、ある車好きの後輩との出会いがきっかけだったそうだ。

「その彼が車の魅力を淡々と語るのですよ。最初全然話がわからなかったです。ちょうどその時期、勤めていた大学がへんぴな場所にあり、車で行ったほうがいいという事情も出てきました。ただ、どうせ乗るのならどの教員も乗っていないような車に乗りたかったので……」