とはいえ、あまりにスポーツカーとしての色彩が濃いフェラーリやランボルギーニという選択は現実的ではない。そうして浮かび上がったのがポルシェだったという。実際に購入してから今何か心境の変化のようなものはあったのだろうか。

「人生を豊かにしてくれます。へんぴな場所への通勤も車(911カレラ)に乗ることで日常生活でのストレス発散になります。スポーツカーです。気分も高揚します。普段とは違う空気感が得られます」

 この酒井の言のうち、「車(911カレラ)」は、『Z』のみならず、国内外のスポーツカー、人によっては単に車に置き換えても通用する話かもしれない。

『911カレラ』と『Z』
名車に乗った者でしかわからないこと

ポルシェと唯一肩を並べる「昭和なスポーツカー」とは?クルマ好きの世界的作曲家が認めたその“スゴみ”【試乗記】愛車「ポルしろー」と酒井氏。スポーツカーに乗ることでストレスの発散、気分の高揚になるという。日本では今のところスポーツカー文化は根づいていないが、カーシェアやレンタカーといった場での提供の機会を増やせば、スポーツカー需要を掘り起こせるのではないか

 911カレラと『Z』――、世に言う名車に乗った者でしかわからないこともあるようだ。

「ネジひとつとっても大きなグランドフォルムに至るまで緻密に計算されている。それだけにアート、芸術だと思う」

 こうしたスポーツカーゆえの芸術性について、音楽家らしく酒井は次のように語った。

「エンジン音ひとつ取ってもあの音がいい、この音がいいと。そのひとつの音というまったくミクロなところから始まり、これが重なりオーケストラへ。まさに作曲という行為と同じです。そこに車に乗ることへの共感性を覚えます」

 今回、『Z』への試乗で、改めて感じたことがある。

「アクセルを踏めば車はどんなリアクションをするか。普段乗っている911カレラならわかる。でも、『Z』とはまだ十分なコミュニケーションが取れていない。だからまだ何とも言えない。機械だけれども車とはやはりコミュニケーションだと思う」

 鞍上人なく、鞍下人なし――、乗り手が馬を巧みに乗りこなし、まるで人と馬が一体になったかのように疾走するという意味のことわざがある。

 かつての馬は今日では車だろう。その車を人がまるで自らの手足のように動かせるようになるには、それなりの修練と時間を要するものだ。

 今、道行く車の多くはAT(オートマティック)車がそのほとんどを占めていると言われている。乗り手の意思で変速機を動かすMT車に乗る人は少なく、現在、流通している車のうち約2%に過ぎないそうだ。