六道まいり六道珍皇寺(東山区)の「六道まいり」は例年8月7~10日に行われる

前回ご紹介した京都三大納涼スポット、その一つである貴船神社(左京区)は、縁結びの社である一方、丑の刻参りという古来の呪術の発祥地でもあります。意外なストーリーが潜む千年の都「京都」に渦巻く魔界スポットを熱暑の真夏に巡り、ちょっぴり背筋を冷やしてみてはいかがでしょう。(らくたび、ダイヤモンド・ライフ編集部)

平安京の魔界最前線「一条大路」

 今からおよそ1200年前のこと。第50代桓武天皇は、奈良の平城京に次いで山背国(後の山城国、現・京都府)に新たに造営を進めた長岡京へ遷都を行いますが、その途上、責任者である中納言の藤原種継が暗殺される事件が起こりました(785年)。

 事件の黒幕として取り押さえられたのが皇太子の早良(さわら)親王。桓武天皇の実弟です。親王は無実を訴えますが、聞き入れられず、淡路国へ流されることに。その道中、抗議の絶食で餓死しました。絶望、怒り、恨みを抱えた親王の魂は怨霊となり、都の空へ……。やがて天皇の周囲に不穏な事件が相次ぎます。

 その結果、長岡京を廃し、新都「平安京」へ遷都(794年)しなければならない事態に。平安京怨霊第1号ともいえそうな早良親王には、即位していないにもかかわらず崇道(すどう)天皇の追称がなされるほどでした。地下鉄烏丸線「鞍馬口」駅3分の御霊神社(上御霊神社・上京区)や、京都御所の産土神でもある下御霊神社(中京区)にも祀(まつ)られています。

 唐の洛陽を模した平安京は、都の四方を神が守るという風水の思想「四神相応」に合致した理想の地。東の鴨川を青龍、南の巨椋池(昭和の干拓によって消失)を朱雀、西の山陰道を白虎、北の船岡山を玄武がそれぞれ宿るとして、厄災や怨霊から都を守護しようとしたのです。

 平安京の北端は一条大路、南は九条大路、東と西はそれぞれ京極大路まで碁盤の目状に街路が敷かれました。都の外と中を分ける一条大路には堀も築かれ、幅員が30mほどもあったといいます。この世とあの世の境目でもあることから、奇々怪々な伝説が現在まで語り継がれてきました。

 その一つが、一条通の堀川に架かる一条戻橋(もどりばし)。後述する菅原道真公を太宰府に左遷させた一人、参議の三善清行 の亡きがらを納めた葬列がこの橋に差し掛かったときのこと。熊野での修行を終えた息子の浄蔵が棺(ひつぎ)にすがり、法力で清行をあの世から呼び戻したという伝説が「戻橋」という名の由来となりました。

 この戻橋の西側一帯は、大河ドラマ『光る君へ』でも活躍する陰陽師・安倍晴明の広大な屋敷が立っていた場所。現在は、晴明を祭神とする晴明神社(上京区)が鎮座しています。厄除け、方除け、縁結びなど、その御利益もさまざま。9月頃まで神紋にちなんだ桔梗の花が見頃を迎えており、期間限定の桔梗守も授かれます。
 
 鍋や釜など古くなった道具が、10世紀に妖怪「付喪神(つくもがみ)」と化して行進したという伝説にちなみ「妖怪ストリート」の別名を持つのが、一条通の約400m、西大路通から中立売通にわたる「大将軍商店街」です。今年4月には妖怪仮装行列「一条百鬼夜行」も開かれ、商店街振興組合事務所の2階には百鬼夜行資料館があり、いくつかの商店では個性豊かな妖怪たちのオブジェが迎えてくれます。

一条戻橋一条戻橋。橋の下には安倍晴明に仕える「式神」が暮らしていたとか