洛外「太秦」の異界と「嵯峨」の冥界へ
一条通から千本通を上がり、第5回でもご紹介した閻魔王を本尊とする千本ゑんま堂(引接寺・上京区)へ。かつてこの辺りは、鳥辺野(とりべの)、化野(あだしの)と共に三大葬送地とされた蓮台野(れんだいの)の入り口であったことから、お盆の前にあの世からご先祖様の霊を迎える「お精霊迎え」(8月7~12日)、お盆の終わりにはあの世へ送る「お精霊送り」(8月16日)が行われます。
千本ゑんま堂から西へ10分強歩けば、北野天満宮(上京区)に到着します。祭神の菅原道真公には、早良親王などと並ぶ最強の怨霊という見方もあります。第15回で「御手洗川足つけ燈明神事」をご紹介しましたが、この神社に潜むもう一つの顔も見逃せません。
藤原時平との政権争いに敗れて九州の太宰府へ左遷された道真公は、都への思いを残したまま亡くなりました(903年)。その後、都に天変地異が起こり、道真公を追いやった者たちにことごとく厄災が振りかかり、天皇までも病に倒れてしまいます。これを道真公の祟(たた)りと恐れ、位を右大臣に戻して当地に祀ったのが北野天満宮の起源。怨霊鎮魂が主目的であり、学問の神として崇められるのは後の世のことなのです。本殿裏側、通称「裏の社」の御后三柱(ごこうのみはしら)も忘れずに参拝しましょう。
次は、北野天満宮の最寄り駅「北野白梅町」駅から嵐電北野線に乗って9駅目の「帷子ノ辻」駅で降りましょう。この駅名、なんと読むかご存じでしょうか?
答えは「かたびらのつじ」。帷子(かたびら)とは一重の着物のこと。第52代嵯峨天皇の后である檀林皇后(橘嘉智子)が亡くなったとき、その遺言に従って嵯峨野へと棺を運ぶ途中、棺に掛けていた帷子が舞い上がり、この辻に落ちたことが地名の由来です。
「帷子ノ辻」駅で嵐山本線に乗り換えて2駅目の「蚕ノ社」駅で下車すると、太秦の住宅街の中に、巨大な木々が生い茂る「蚕ノ社(かいこのやしろ)」こと木嶋(このしま)神社(右京区)が鎮座します。本殿西側には京都三珍鳥居の一つである三柱鳥居が。通常鳥居といえば2本の柱ですが、こちらには3本の柱が立ち、その中心に神が宿るという神座があるのです。この界隈を支配した古代豪族「秦氏」ゆかりである伏見稲荷大社(伏見区)、比叡山、愛宕山の三方を向いているという説もあるようで、ちょっとした異界感を味わうことができます。
今度は嵐電嵐山本線の終点「嵐山」駅から、嵯峨の風趣に富んだ道のりを北へ2km強ほど歩くと、化野(あだしの)念仏寺(右京区)がたたずみます。平安京三大葬送の地に打ち捨てられた無縁の遺骸を空海が供養したのが寺の起こりと伝わり、毎年8月(今年は24・25日)、境内の西院の河原に祀られた数千体の無縁仏にろうそくをともし、供養するのが晩夏の風物詩となっています。