パリ五輪で「緊張しない」日本人選手の活躍が増えたワケ、昭和五輪との決定的な「3つの違い」パリ五輪で金を含む4つのメダルを獲得した体操の岡慎之助選手。このメンタルの強さはどこからきているのだろうかPhoto:ABACA PRESS/JIJI

今も思い出すあの衝撃
五輪メダリスト・円谷幸吉選手の死

 私たち昭和の東京五輪に熱狂した世代には忘れられない、悲劇がありました。東京五輪マラソンで銅メダルを獲り、次は「金」だと誰もが期待していた自衛隊員・円谷幸吉(つぶらや・こうきち)選手。彼はメキシコ五輪開催の年の正月、自殺を遂げました。その遺書は、日本で一番有名な遺書として、昭和世代の記憶に今も残っています。

「父上様 母上様 三日とろろ美味しうございました、干し柿 もちも美味しうございました、
敏雄兄、姉上様、おすし美味しうございました、
勝美兄姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しうございました、
巌兄姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しうございました、
喜久造兄姉上様、ブドウ液、養命酒美味しうございました、又いつも洗濯ありがとうございました
(中略)
父上さま 母上さま 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません 何卒お許しください。
気が休まる事なく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません、
幸吉は父母上さまの側で暮しとうございました。」

 このように差し入れへのお礼、親戚へのお詫びが続く素朴な文章に誰もが心を打たれました。東京五輪では競技場に2位で入りながら、力尽きて大観衆の前で3位に落ちた屈辱。周囲の期待に応えられず、成績は伸びない。私も同級生と「もしも彼のような立場になったら」と話し合った覚えがあります。

 しかしこの涙の遺書は、平成、令和の若者にはよくわからないようです。私は大学の教員時代、作文の授業で「有名な遺書」を20通集めて、好きだと思う文章を投票させ、感想を書かせる授業をしていました(基本は女子大なので恋文がテーマの講義ですが、遺書と弔辞は最も愛する人への手紙という意味で、恋文と同等です)。

 女子大生たちからは、「次の五輪に挑戦する前に悲観して、自殺まですることはない」「遺書に食べもののことばかり書くのが理解できない」といった感想が返ってきます。正直、私はショックを受けました。しかし、飽食の時代に育った彼女たちには、五輪への期待を込めて兄弟から親戚までもが貴重な食べ物を円谷選手に送ってきたこと、そして突然日本中の英雄となり、自衛隊が名誉をかけて金メダルのためにだけ訓練させるという重圧を同氏が受けたことに理解が及ばないのも、仕方がありません。