《五輪辞退問題》宮田笙子選手を“許してあげられない日本人”は義務教育の成果か、それとも…飲酒・喫煙問題でパリ五輪への出場を辞退した宮田笙子選手 Photo:Aflo

宮田選手を許せない
「日本社会の掟」

 パリ五輪の体操女子日本代表主将の宮田笙子(19)が喫煙と飲酒による代表行動規範違反があったとして代表を辞退した一件について、未だに日本中で議論が盛り上がっている。そんな中で注目されているのが、「有名人」と「一般人」のギャップだ。

 7月24日、デイリー新潮が配信した《そうそうたる有名人が「宮田笙子は五輪に出場すべき」とXに投稿してもネット世論は完全無視 謎を解くカギはビートきよしの投稿にあった》によれば、名だたる有名人たちが「若者の未来を潰すのか」「罰が重すぎる」と擁護にまわっているのに対して、ネット世論はそこに同調する動きが少ないということを紹介。なぜこのような「温度差」が生じるのかについて、記事中でITジャーナリストの井上トシユキ氏はこんな分析をされている。

「ネットユーザーは“ルールの遵守”を求める傾向が強い」(デイリー新潮 7月24日)

 政治家は裏金をつくってもトカゲの尻尾切りでウヤムヤにして、パワハラが告発された県知事もなんやかんやと言い訳を並べて居座っている。そんな感じで権力者たちが次々とルール破っても「罰」を受けていない現実の中で、代表行動規範違反をした宮田選手が報いを受けたことを、「正義が実現した」と好意的に捉えているほか、ある種の“憂さ晴らし”になっている、というのだ。

 確かにそういう側面もあるとは思うが、「ネット世論」がどうこうという以前に、我々が幼い頃から教育によって刷り込まれている「日本社会の掟」が大きいのではないかと思っている。それは一言で言い表すとこうなる。

「どんなに優秀で、どんなに才能のある人でも、組織のみんなに迷惑をかけるような勝手なことをした場合、重い代償を払わなくては組織の秩序は守られない」

 この「掟」にいかに我々が縛られているのかということを示す調査がある。転職・求人情報サイトを運営するヒューマングローバルタレントと、海外ITエンジニア派遣を展開するヒューマンリソシアが、エイムソウルと共同で48カ国、1407名を対象に行った「職場における仕事観・倫理観に関する国際比較調査」というものがある。