自国の常識や価値観の押し付けはNG
日本人は今すぐマインドセットしよう

 山田はキレてしまったが、トムが納得する答えとしては、例えばこう言えただろう。

In Japan, being on time is crucial for maintaining trust, and people are accustomed to keeping appointments on time. If someone is going to be late, they will always inform the other person and apologize because they don’t want to lose trust. Arriving before work starts is considered basic courtesy, just like arriving early for a client meeting.
日本では、時間を守ることが信頼を維持するために重要で、人々は時間通りに約束を守ることに慣れている。もし遅れる場合は、必ず相手に連絡して謝罪する。信頼を失いたくないからだ。始業前に到着することは、顧客とのミーティングに早く到着することと同じように、基本的な礼儀と見なされている。

 この説明で、トムが始業時間厳守を受け入れるかどうかは分からない。だが、時間厳守という日本人の価値観が存在し、それが日本では理不尽とはみなされずに国全体で常識として機能しているらしい、とトムが理解するだけでも、山田との対話はスムーズになるだろう。

 さて、ここまでで、「そんな説明をとっさに、しかも英語でできるわけがない!」と感じただろうか? まさに、それが本稿で伝えたいテーマだ。「英語で」できないことよりも、「そんな説明をとっさに」できないことが問題なのだ。

「日本ではそうだから」
「うちの会社ではいつもそうやってきたから」

 あなたが山田の立場だとして、このように言ってしまっては理由の説明にならない。それは自国の常識、つまり自分達の価値観の押し付けだ。非常に偏狭な態度である。

「なぜ?」と外国人に聞かれたら、どんなつたない英語でもいいから理由を説明できることが肝心だ。しかし、日本人の多くは、日本の常識に対して疑問を持つことなく生きてきたので、これは決して簡単なことではない。

 一方で、人間関係において自分自身を理解していなければ、他人のことは理解できない、とよく言われる。自分自身を理解するとは、自分が何を大切にしていて、どんな価値観や基準を持っているのかを把握することだ。そして、これを相手の価値観や基準と比較することでこそ相手を理解できる。

 これは、文化背景の異なる人々を理解する際も同じだ。日本人としての自分の価値観を理解し、それを言葉で説明できなければ、異文化環境では、腰がふらついた、ぼやけた価値観の人間としか見なされない。

 外国人の人口が増えつつある日本国内においても、外国人の同僚やご近所さんの「なぜ?」という質問を素直に受け取って、答えを考える必要がある。「日本ではそうだから」の押し付けでは、外国人社員の多くは職場に居着かず、外国人居住者との共生も難しくなる。

 こうしたマインドセットを求められる今の時代は、日本の新たな開国と言えるのではないだろうか。