このわかりやすい例が、太平洋戦争のはるか昔から、「日米非戦」を提言していた軍事評論家・水野廣徳である。

 1924年、アメリカで排日移民法が制定され、米海軍が太平洋上で大規模な演習を行ったことで、「反米感情」が盛り上がっていた。国民の関心は「もしアメリカと戦争をしたらどうなるのか」ということだった。

 そこで元海軍大佐が水野が唱えたのが「日米非戦」である。水野は「中央公論」(1925年2月号)に、「米国海軍の太平洋大演習を中心として」を寄稿。その中で、「日米戦争の勝敗を決するものは武力よりも経済力である」と断言、アメリカを「現代における世界第一の富国」として、日本の経済的実力とはあまりに大きな差があるとした。つまり、「戦っても負けるのでやめた方がいい」というわけだ。

 第一次大戦での自身の体験からも、兵器弾倉、兵站などを供給し続ける経済力こそが国の強さだと確信していたのだ。

 現代人の感覚では、冷静かつ論理的な提言のような気もするが、これが今でいうところの「炎上」をしてしまう。対米強硬姿勢を支持する国民から「崇米論者」「恐米病」「平和万能論者」などとボロカスに叩かれてしまうのだ。

 日本人をちっともいい気分にさせてくれない、むしろ自信を喪失させるような、水野の提言は時が経つほどに隅っこの方へと追いやられていく。しかし、その提言は傾聴すべきものが多くあった。