あれこれ語ってきたが要するに何かといえば、地元産を買うこと自体にムダがあるわけではない。ただ、実際の状況は見た目ほど単純ではないということである。

地産地消で生じるムダは、
輸送コストだけではない

 食について考えるときには、効率と持続可能性のどちらを取るべきなのかと、果てしない堂々めぐりに陥りやすい。先ほど紹介したオーストラリアの研究では、有機食品を空輸する場合のコストについても炭素排出量の視点から考察している。意外でも何でもないだろうが、方程式の中に飛行機を組みこんだとたん、許容される排出量の上限をあっというまに突破する。反面、空路を利用できない場合の影響は大きく、有機農家の少なくとも一部は従来型農法に切りかえざるをえなくなると指摘されている。

「地産地消」実は全然エコじゃない残念な理由『この世からすべての「ムダ」が消えたなら:資源・食品・お金・時間まで浪費される世界を読み解く』(白揚社) バイロン・リース/スコット・ホフマン 著 梶山あゆみ 訳

 結論をいうと、食品の生産に伴うムダと非効率を評価する際に、生産地から食卓までの距離を目安にするのは名案とはいえない。現行の食品の輸送ネットワークはじつに効率的にできている。輸送に費やされるエネルギーなど、生産全体に要するエネルギーのごくごく一部にすぎない。

 アイスランドのバナナの事例を通じて学んだように、ムダの一次的な影響――食品の輸送に要する余分な燃料――だけに目を向けるのであれば、構図はきわめてわかりやすいように思える。つまり、食卓からできるだけ近い場所で農産物を生産せよ、だ。しかし、その種の分析では、地域の食料生産がもたらす高次の影響を把握しそこねてしまう。具体的にいえば、どんな食料であれ生産するにはエネルギーや肥料や、水や土地が、燃料とは比べ物にならないくらい多量に必要になる。分析の視点を広げると、何が簡単に解決できそうかは往々にして様相を変える。