いうまでもないが、何かがムダに見えるからといって、それをやらない理由になるとは限らない。家族経営の農家が潤うことを願う人や、持続可能な農業を応援したいと考える人は多く、そういう人たちにとって地元の農家を支援することには大きな意義がある。

 アイスランドにしたって、普通より高い代金を支払ってでも、レイキャビクの街で地元産バナナを食べ歩きしたいと思う人はけっこういるはずだ。だって、ほら、アイスランドの地熱エネルギーで2年かけて育ったバナナだなんて、ちょっとおしゃれじゃない?

 しかし、地元産の食材を買ったり、農産物直売所に足しげく通ったりする理由のうちで、地元農家を支援するという形のない価値が大きな割合を占めるのだとしたら、その価値が本物なのかどうかをせめて通りいっぺんだけでも吟味したほうがいいだろう。

 農産物直売所は本当に見かけどおりの存在なのだろうか。家族で営む零細農家が、近所の土曜の市で自分たちの野菜や果物を売っている。そんなノーマン・ロックウェルの絵のようなのどかなイメージは本当に正しいのだろうか。

ジャーナリストが暴いた
「地元産」の産地偽装の手口

 ジャーナリストのローラ・ライリーは、フロリダ州の新聞『タンパベイタイムズ』紙に強烈な暴露記事を連載し、ピュリッツァー賞の最終選考に残った。記事のタイトルは、「つくり手から食卓へ」ならぬ「つくり話から食卓へ」。

 ライリーは直売所に赴き、自分で育てた作物なのかどうかを売り手に尋ね、それから畑があるといわれた場所に実際に車で向かった。すると、話どおりの光景が広がるケースもあるにはあったが、そうでないことが少なくなかった。実際には数々の慣行がまかり通っているのをライリーは詳細に綴っている。それらを見ると、「誤解を招く」程度ならまだいいほうで、ほとんどは真っ赤な嘘であることがわかる。

 食料品店で不合格品としてはねられた野菜からラベルだけはがしたものや、単純によその地域から買ってきて、地元産として「再ブランド化」したものもかなり多い。「有機」イチゴは人の手を何度か介してから直売所にたどり着き、本当はどこ産なのかは控えめにいってもあいまいである。

 レストランもほめられたものではない。「地元産」食材を謳っていながら、実際に出しているのは地元産ではない。あるいは魚の種類を偽っていたり、水道水を詰めたボトルに高値をつけたり、「自家製デザート」がどこかで買ってきた代物だったりと、数え上げたらきりがない。