お決まりの黒装束は
どうやって定着したのか

 ただし、伊賀や甲賀の農民は普段「クレ染め」と呼ばれる濃紺色の野良着を着用していたという。クレとは水田の周辺などで湧き出る油の浮いた赤茶色の液体で、クレ染めにはマムシよけの効果があったと信じられていた。

 忍者として任務にあたる際、そうした野良着にほっかむりの1つもすれば、我々が今日イメージする忍者の姿にかなり近いものになるだろう。

 なお、風景に紛れるための装束を身につける機会は実際にあったようで、普段はこうした野良着を着て作業している忍者が、敵地に潜入する際には、正体と目的を隠すために変装をした事実はある。忍術書の中で伝えられているのは、「虚無僧」「出家」「山伏」「商人」「放下師」「猿楽師」「常の形」の7項目。これを「七方出」と称し、目的地に合わせて最も不自然ではないものを選んで扮したという。

 逆に、ひと目で忍者とわからせなければならない状況もある。それは歌舞伎などの舞台上である。

 江戸時代から忍者は人気キャラクターで、とりわけ歌舞伎においては、次々に登場する役者の中で、観客にわかりやすく忍者と認識させるために、黒装束がアイコン的に利用された。これがやがて忍者の衣装として定着したのである。

 忍者について、リアルとフィクションの違いに驚く人は多いかもしれない。しかし、限られた文献によってひも解かれる忍者が、ミステリアスな存在であることに変わりはないだろう。引き続き、研究の進展を見守っていただきたい。