「学校へ行かせるのは親の義務であり責務」と、両親ともに頑なに信じきっていたので、当然ながら家での「居場所」も皆無であった。私は父が42歳のときに生まれた末っ子なので、その教育方針も“ザ・昭和”だったのである。

教師に腕と足をもたれ
無理やり教室に「ポーン」

 その頃の記憶が少し曖昧なのだが、最初の不登校のときは、さまざまな病院へ連れ回されていたような気がする。

 そして、どこに行っても「異常なし」の診断が下ると、両親の不満は一気に私に向けられる。いくら怒られても一向に学校に行かない私は、必然的に両親と対立するようになっていた。姉と兄からも、学校関連のことでいじられることもあり、常に不機嫌な子どもであったように思う。

 それから、なんとか学校に行けた日でも、教室に入ることができずにドアの近くでためらっていたら、ふたりの教師に腕と足をもたれ、無理やり教室のなかに放り込まれたこともあった。文字通り、「ポーン」と。

 しかも、前のドアから入れられたので、クラスメートたちに丸見え……。まるで晒し者のようにされたわけである。あの刺さるような視線と嘲笑と、無知からくる汚い言葉は、思い出すだけで惨めな気持ちになる。

 このように幼い頃、無垢であった人間でも、簡単に心に恨みと憎しみをもってしまうようにもなるのだ。