ごめんな、こんなこといって。でも、残念なくらい、すべてはつながってる。あんまり考えたくないレベルで、つながってるのだ。

 それでも、なかなか「自分」が「ない」とは信じられないだろう。身体はそうかもしれんけど、心はどうやねん。

「カレーが食いたい」という
思考はどこからわきあがる?

 いまこの文を読んでる間、いろんな思考がわきあがってきているとおもう。

 心のなかで、考えること。そんな「思考」のことを、ふつう「自分」だとおもって生きている。そりゃそうだ。

 しかし、である。「思考」をよーーーーーく観察すると、ちがうことがみえてくる。この写真をみてほしい。

P40同書より

「カレー食いたい」と、おもわなかっただろうか?おもったことにしてよ。

 しかし、である。よーーーーーく観察してほしい。

「カレー食いたい」という「思考」は、どこからともなく、勝手に「わきあがってきた」のでは?

 よっしゃ!いまから「カレー食いたい」って思考するぞ!→「カレー食いたい」。こんなヤバいひと、いないでしょ。いたらなんかごめん。

 思考が「わきあがってくる」瞬間をよく観察すると、思考のことを「自分」だとだんだんおもえなくなってくる。というか、なんかこわくなってくる。