「カレー食いたい」とおもったのは誰なんだ。実はホラーである。

 ぼくがカレーの画像をみせなければ、「カレー食いたい」という思考はわきあがってこなかった。

 ぼくが「カレーの画像をみせよう」とおもったのも、その思いがわきあがってきたからそうしただけだ。なぜわきあがってきたかは、わからない。

 今日の天気も関係してるかも。雲と太陽の影響。もはや宇宙規模の話になる。宇宙規模の関係性のなかで、「思考」がわきあがってはきえていく。

「思考」さえ、自然現象のようなものである。「思考」だけではなく「感情」もおなじである。

「よっしゃ!いまから嬉しい気持ちになるぞ!」
「よっしゃ!いまから怒った気持ちになるぞ!」
「よっしゃ!いまから悲しい気持ちになるぞ!」

 こんなふうに感情をつくりだし続けている人がいたら、こわすぎる。感情も「わきあがってきている」のだ。

書影『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版)
しんめいP 著、鎌田東二 監修