イラン政府の敵はイスラエルだが、
イラン国民の敵はイスラエルではない

 内政に目を転じてみても、イランの現体制は、経済制裁によるインフレや失業率の高さ、あるいは思想統制や政治犯の投獄などにより、国民の広範な支持を失って久しい。2022年に女性のスカーフ強制への反発から始まった大規模な反体制デモは、そのことを象徴している。

 特にこのデモで、女性や子供を含む500人以上の市民が治安当局の手によって惨殺されたことは記憶に新しく、国民と体制のあいだには拭いがたい不信感が横たわっている。そのような中で、イスラエルとのつばぜり合いを演じる体制を人々がどう見ているか、もはや説明するまでもないだろう。

 いまイラン国民から聞こえてくるのは、「さんざん自国民を足蹴にしておきながら、遠く離れたパレスチナがそんなに愛おしいか?」という恨み節である。それどころか昨今では、若者を中心とする少なからぬイラン人が、イスラエルへの支持を臆面もなく表明するようになっている。

 民間人を含めたパレスチナ側の犠牲者数は、この1年あまりで4万人を超えており、イラン人もこれに心を痛めていないわけではもちろんない。しかし、彼らにとって最大の敵は、イスラエルである以前に、イラン・イスラム共和国なのだ。だから、その支援を受け続けるパレスチナよりも、敵対するイスラエルにシンパシーを感じてしまう。

 シラけムードと並んで、一部に根強く存在するこの「敵の敵は味方」論も、イランにおける複雑な国民感情を物語るものとして見逃すべきではない。

 今年4月、イスラエルはシリアのイラン大使館を砲撃し、革命防衛隊の司令官ら7人を殺害した。その2週間後、イランはミサイルやドローンを使い、史上初となるイスラエルへの直接攻撃を行ったが、上述のような世論を背景に国民の目は冷ややかなものだった。

 一方で、その6日後にイスラエルからイラン領内への反撃がなされた際には、それが小規模かつ形式的なものに留まったことを残念がる声すら聞かれた。

「イスラエルよ、次はハメネイをよろしく頼む」

そのころSNS上にはこんな文言もたくさん見られたが、そうした事実も日本ではまったく知られていない。