ヘリ墜落で現役大統領が急逝、
新大統領は協調外交を掲げるも……
パレスチナ情勢が緊迫化しつつあった5月、イランのライシ大統領がヘリコプター墜落事故で不慮の死を遂げた。ライシ氏は保守強硬派だったため、これをイスラエルによる殺害と見る向きもあったが、公式には事故として処理された。
現役の大統領が対外的危機の迫るなか急逝するという、前代未聞の状況の中で7月、新たな大統領に選出されたのが、改革派のペゼシュキアン氏である。新大統領は協調外交を掲げていたため、イラン国内はもちろん国際社会においても、中東の緊張が収束に向かうことへの期待が高まった。
ところが、7月31日、そうした期待を一気に吹き飛ばすような事件が起きる。ペゼシュキアン大統領の就任式に参加すべくイランの首都テヘランに滞在中だったハマスの指導者ハニヤ氏が、イスラエルの急襲により殺害されたのだ。
ピンポイントで、しかも他国の領土内で要人を殺害するというイスラエルの軍事的手腕もさることながら、何よりもイラン側の危機管理の甘さが露呈した出来事だった。国家としてのメンツを傷つけられたイランは報復を宣言した。同時に、協調外交を説いてきたペゼシュキアン氏には、皮肉にも「戦時大統領」的な役回りが押しつけられることになった。
しかし、大方の予想に反し、報復攻撃はなかなか始まらなかった。ハニヤ氏暗殺後、イスラエルはガザのみならずレバノンへの攻撃も本格化させていたが、増え続ける民間人の犠牲をよそにイラン側はおよそ2カ月ものあいだ事態を静観する。
「現体制は自らことをエスカレートさせ、全面戦争に巻き込まれるのを恐れているのだ」
イランによる奇妙な沈黙を、多くの国民はそう解釈した。すでに民心に見放され、このうえ戦争となれば勝ち目はない、だから報復したくてもできずにいるのだと。とくに今年の夏は電力不足のため、テヘランでもほぼ毎日、計画停電が行われていた。記録的な酷暑にもかかわらず、クーラーも扇風機も使えず、インターネットもつながらないという絶望的状況。政府に対する国民の怒りは頂点に達していた。
一方この間、ペゼシュキアン大統領は各国首脳と精力的に会談を行い、戦争回避に向けた外交努力を活発化させていた。それには協調外交を掲げる大統領の面目躍如たるものがあったが、すでにイランがじりじりとイスラエルに追い詰められていることを見抜いていた国民の目には、必死の悪あがきのように見えなくもなかった。