大打者出身のON対決にふさわしく、両チームとも重量打線でした。

 第5戦は、巨人が1番(二)仁志敏久、2番(左)清水隆行、3番(一)清原和博、4番(中)松井秀喜、5番(指)ドミンゴ・マルティネス、6番(右)高橋由伸、7番(三)江藤智、8番(遊)二岡智宏、9番(捕)村田真一、(投)高橋尚成。

 ダイエーは1番(中)柴原洋、2番(左)大道典良、3番(指)メルビン・ニエベス、4番(三)小久保裕紀、5番(一)松中信彦、6番(捕)城島健司、7番(右)秋山幸二、8番(遊)井口忠仁、9番(二)鳥越裕介、(投)若田部健一。

 巨人の先発は新人左腕の高橋尚成投手。ペナントレースでは9勝を挙げていましたが、「巨人での初先発初勝利」は1966年堀内恒夫投手以来だったそうです。そして、この「日本シリーズ初登板完封勝利」は新人初の快挙でした。

ダイエーの1試合2安打は
当時の最少安打記録

 145キロ前後のストレートにカーブ、スライダー、シンカー、フォークボールを織り交ぜて、12奪三振、無四球の見事な完封劇。ダイエーの1試合2安打も当時の最少安打記録でした。高橋投手はのちにメジャーでも1年目10勝。「初めて」に強いんですね。

 結果は巨人が2連敗のあと4連勝。MVPは松井秀喜選手でした。日本一が決まった第6戦の球審を務めた橘修審判員(1947年生まれ、審判員歴通算25年、2376試合出場)も感無量のことだったと思います。

 巨人を飛び出した三原脩監督が、九州の野に下って、西鉄「野武士軍団」を作り上げ、「水原茂・巨人」を3年連続して打倒する。そんなストーリーも彷彿とさせましたが、実際の監督会議は和気あいあいで、何かお祭りムードでした。しかし内心は、王監督の胸に燃えたぎるものがあったかもしれません。きのうのことのようですが、もう四半世紀近くもたつのですね。

ダイエーー巨人 第5戦同書より転載
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