阪神・淡路大震災後オリックスが勝利し、『がんばろうKOBE』を盛り上げた1996年オリックスー巨人戦、ダイエーが悲願の日本一を遂げた1999年ダイエーー中日戦、全野球ファンが注目した王・長嶋の2000年「ONミレニアム対決」――プロ野球の審判歴34年を誇る井野 修氏が、忘れられない「日本シリーズ」の3カードを審判ならではの視点で語る。本稿は、井野 修『プロ野球は、審判が9割 マスク越しに見た伝説の攻防』(幻冬舎)の一部を抜粋・編集したものです。
仰木監督とイチローの抗議で
審判をクビになるかも?
1996年日本シリーズのオリックス-巨人第5戦。球審ではなく、二塁塁審でのジャッジが印象深いので、ここに記すことにします。
オリックスの3勝1敗の第5戦、1対5で迎えた巨人の攻撃4回表一死一、三塁。7番・井上真二選手の打球はセンターの前に飛び、本西厚博選手が前進してつかみました。しかし、土煙が上がったのでワンバウンドキャッチと判断した二塁塁審の私は「ノーキャッチ」のジェスチャーをしたのです。
仰木彬監督がグラウンドに飛び出してきました。
「本西が『捕った』と言ってるんだ。二塁塁審は……、井野か。あの審判代えなきゃ、俺はやらん!」
選手をダグアウトに引き揚げさせたのです。現在では監督会議用の資料に「選手をベンチに下げたら監督は自動的に退場になる」と、明記されています。
仰木監督が私に不信感を抱いていたのは、1989年の日本シリーズが頭にあったのでしょう。近鉄は巨人に3連勝4連敗を喫しています。ターニングポイントとなった第4戦の球審が私でした。だから1つのプレーをきっかけに流れが変わることを危惧していたのでしょう。仰木さんは、1989年当時は近鉄監督として、この1996年はオリックス監督として、再び巨人に挑んでいたのです。
レフト外審だった友寄正人審判員(1958年生まれ、審判員歴通算36年、3025試合出場。のちにNPB2代目審判長)に私は尋ねました。
「どうだった?」
「捕っていました」
「ああ、やっちまったか……」