「たしかに。だがね、素晴らしい質問なくして、素晴らしい答は出せないんだ」
ジョゼフはそこで言葉を切り、メガネを鼻にのせ、そのうえから私をのぞきこんだ。
素晴らしい質問なくして、
素晴らしい答は出せない。
「きみの働き方をひと言で言い表すような質問はあるかな?」
「もちろん。適切な答を出し、いつでもそれを証明できるようにしておく、それが私のモットーです」
ジョゼフはそれを自分自身に問いかける質問として言いなおしてみてくれと言った。意味がわからなかったが、彼の言うとおりにした。
「おそらくこうでしょう。『私はどうすれば自分が正しいと証明できるだろうか?』」
「素晴らしい。これでおそらくきみの問題点がはっきりしたね」
「私の問題点?」
「アンサーマンだということ。自分は正しいと証明したがることだ。ベン、われわれは思っていたよりも早く本題に入ったようだね」
意味がよくわからない。ジョゼフは私をからかっているのだろうか?いや、彼はしごくまじめだ。
コミュニケーションにおいて
正しさの証明は重要ではない
「今、なんとおっしゃいました?」
「自分の答が正しいという証拠を見つけるのは大事なことだよ。だけど、正しさも行き過ぎるとかえって問題になる場合もある。
たとえば、きみが正しいことをしなければならないという思いは、チームの人たちにどんなふうに受け入れられると思う?」
「意味がわからないのですが?だれもが答をさがしているんです。それによって収入を得ている、そうじゃないですか?」
私は自分のチームに答を見つけてほしかった、それも正しい答を。
「少しプライベートな話をしようか。きみが自分は正しいと証明するのを、きみの奥さんは喜んでいるのかな?」
その言葉がグサリと胸を突いた。「いえ、そんなことは……」と私は認めた。