経済力が落ちると
精神的豊かさが喪失

 少子化・人口減少問題も同様である。我々自身が社会の持続可能性の観点から、社会の仕組みを再点検することが必要である。少し横道に逸れるが、近年、日本でもESG(環境・社会・ガバナンス)を考慮した取り組みが活発化している。

 社会として持続可能性への取り組みは非常に重要であるが、現在のところ、人口減少問題への取り組みはESGの具体的な項目の中には入っていない。私は人口減少問題への取り組みは、少なくとも日本では最大のESG項目であると思っている。

 第3の理由は、「GDPに代表される経済的豊かさを追い求める時代は終わった」という、文明論的な反論である。あるいは、人口減少の深刻な影響を指摘する論者の議論に、生産性至上主義のような「昭和の匂い」を感じ取っているのかもしれない。

 そうした人たちから見ると、少子化の原因のひとつである非婚化・晩婚化の背後にある貧困の問題に、生産性至上主義者が無理解であるという誤解もあるのかもしれない。

 私は経済的豊かさがすべてだとは決して思わないし、貧困の問題が深刻であることも認識しているが、本当に経済力が落ちると、生活インフラの維持も精神的豊かさを追求する余裕もなくなり、精神的豊かさの喪失と経済基盤の崩壊の悪循環が生じる。

少子・高齢化が急激に進む社会で
イノベーションの引き上げは起きるか

 第4の理由は、「大事なのは1人当たりGDPであり、この問題はイノベーションや生産性引き上げで解決する」という、エコノミストや経済学者からの反論である。

 確かに、人口減少の影響を相殺する形でイノベーションや生産性引き上げが行われれば問題は解決するというのは全く正しい。ただし、正しいというのは単に論理的な命題として正しいというだけである。

 真に問われているのは、高齢化や人口減少が急激に進む社会の中で、イノベーションや生産性引き上げが本当に進むかどうかである。

 例えば、人口減少地域が従来と同じように生活インフラの質や量を維持しようとすると、単位当たりのインフラ維持コストは上昇するが、それは言い換えると生産性が低下することを意味する。

 もちろん、最終的には人口減少に応じたインフラの縮小が図られるが、生身の人間の生活を考えると、当然のことながらその調整には時間がかかる。