第2の失敗。条文内容について激しい交渉はあったが、なぜ、領事裁判権や関税自主権を外国に渡すような不平等な内容になったのか。諸説あるが、日本国内で国際標準の仕組みを持っていなかったことは大きかろう

 通商条約の交渉時、交渉責任者だった岩瀬忠震(ただなり)が不平等な条項に気づかなかったという指摘もある。しかしもちろん、日本で起きた犯罪は相手が外国人でも日本で裁くべきである。

 だが当時は残念ながら外国人が日本で犯罪を犯した場合、日本で裁判する法整備ができておらず、慌ててつくるにも幕府の政策決定は恐ろしく遅い。仕組みが出来ていないのに開国しようとすれば、当然齟齬が生じる。社会の仕組みは一朝一夕に変えたり新設したりできないのである。

遅すぎた『海国兵談』復刊に学ぶ対・トランプ

 以上を総括して言うならば、幕末外交の失敗は長期的視野の欠如と表現できよう。軍備も、外国との関係も、社会の仕組みも、問題への対処も、長期的に準備し養成しなければできるものではない。

 黒船来航のおよそ60年前にロシアのプチャーチンがやってきて開国を求めた時、本気で国際社会と向き合って開国に耐えうる社会に変え始めれば、どうであったか。60年あれば、国の仕組みは変えられたはずである。

 しかし時の老中・松平定信はプチャーチンの要求に応じないのはもちろん、安全保障を論じた林子平を罰したり、国内事情優先の海防策をとってしまった。林子平の優れた論考である『海国兵談』は、黒船来航の2年前にようやく復刊されたが、時すでに遅し、であった。

 トランプのアメリカは、例えば在日米軍の負担をさらに日本に負わせ、それでも損だと思えばいつでも在日米軍を引き上げるであろう。そのときに急に自衛隊を増強しようとして間に合うのか。軍事力は基礎になる人員、特に指揮官クラスの養成には時間がかかるし、兵器があっても運用や武器弾薬の補給を含め、わずかな期間で準備できるものではない。

 自衛隊が出動したとして、もし現行法の範囲を超える事態が起きた場合、自衛隊員に「法律をやぶって行動しろ」などと言えるわけがない。そのための法整備も、簡単な議論では済まない。

「江戸の日本橋より唐・阿蘭陀まで境なしの水路なり」は林子平の『海国兵談』の有名な一節である。この少し前に「いまから準備すれば50年で新たな仕組みができる」という意味の記述がある。『海国兵談』は、前もってシミュレーションする重要性を教えてくれる。