そのときの企画書を読み返して見ると、「岸信介・安倍家と統一教会の本当の関係」なんて見出しが入っている。ネットやSNSの方たちが「日本の闇」だと指摘するネタもしっかり入っている。

 しかし、この企画はあっさりボツとなった。担当者から「みんな知っている話で、ちょっと新鮮味がないですね」と言われた。恨み言を言っているのではなく、メディアの中では「自民党と統一教会」は国民の関心がない話で、部数、アクセス数、視聴率などの「数字」を持つ話ではなかったのだ。

 それが急に「数字の取れるキラーコンテンツ」に一気に格上げされたのが、安倍元首相銃撃事件だったというワケだ。

 もし仮にジャーナリストの調査報道や、旧統一教会の元信者の告発で、旧統一教会の犯罪が浮き彫りになり、そこに国民の関心が集まって、政府も動いて解散命令を下した――という流れならば民主主義国家としては健全だ。

 しかし、今回はそうではなく、まずはじめに「安倍元首相殺害」というテロがあった。

 そして本来なら、海外のように「悪名を広めるな」で対応をしなければいけないこのテロを、マスコミは「数字の取れるコンテンツ」として商業的に利用した。その結果、反自民という政治勢力も参戦して、政府を動かす社会問題にまで発展させた。

 何をどう言い訳しようとも、日本のマスコミは「この狂った社会を変えるには、言論よりも暴力しかない」という山上被告の思想を広めることに加担してしまったのだ。

 このときの反省があるからか、岸田元首相や立花党首へのテロ事件については世界の常識に準じて、その主張や生い立ちは報じていない。しかし、2年前の過ちは取り消すことはできない。

「あの山上だって自民党の闇を暴いて日本を変えたんだから俺だって」という「正義のテロリスト」の増殖は、もはや止められないのではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)

立花孝志はナタ、岸田文雄はパイプ爆弾、安倍晋三は手製銃…日本で政治的暴力を過激化させた「真犯人」の正体