人の論文の欠落を埋めるより
おもしろいほうに大股で歩く
2つ目の大股で歩くことは、おもしろいほうの可能性に大股の一歩を踏み出すということである。
大きい歩幅で歩くと、どうしても抜ける要素があいだにたくさん出てくる。その抜けている要素も証明しないと、最終的に正しいかどうかの結論は出せない。しかし、その抜けた要素の証明は仮に自分たちがやらなくても、必要ならば誰かやる人が後で出てくるはずだ。大股で歩くことによる危険もあるが、いちばんおもしろい可能性を試すほうが、やりがいがあるじゃないかというのが、私の考え。
あるいは、よくできる学生というのは、よく文献を読み、ある論文に述べられている結論を証明するためには、こんな実験が欠落していると気づいて、それに手をつけようとする場合もある。そういうときも、ある意味で横着な私は、
「人のやった実験の後始末をするよりは、とりあえず一回大股で歩いてみろ」
などと言ったりする。
緻密にサイエンスを進めるには、欠落部分を埋めていくこともとても大切なことで、私の言っているのは、科学者の態度として褒められたものではないかもしれない。しかしそれでも、こうやっておもしろい可能性を優先させていく雰囲気、できるだけ大股で歩こうという姿勢が、ラボには必要だと私は思っている。
「大股で……」というのはあまりにもおおまかな表現なので、この頃は「確かな一歩のために、できるだけ遠くを見ろ」と言うことにしている。一歩を踏み出すのに、目の前だけを見るのではなく、遠くのおもしろいものを見ながら確かな一歩を、と求めているつもりだが、これは言うは易く、行うは難しと言わなければならないだろう。
金回りが悪くとも
流行の研究は追わない
3つ目の「流行の研究を追わない」ことも、はっきりしている。基礎研究においては特に、流行でなく自分たちが本当におもしろいと思うテーマを追うべきだと考えるからである。
その意味で、いま生物学の中で流行っているオートファジー(編集部注/生体の恒常性を維持する仕組み。細胞内での異常なタンパク質の蓄積を防いだり、過剰にタンパク質合成したときや栄養環境が悪化したときにタンパク質のリサイクルを行ったり、細胞質内に侵入した病原微生物を排除したりすること)やアポトーシス(編集部注/細胞の死に方の一種。個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる)についての研究はしないと、研究室では宣言してきた。