過去の対立を乗り越え、敷地の権利関係を整理

ホ号棟新旧の住戸が並ぶ。左はト号棟、右は先行して建替えが進むホ号棟(2025年1月) Photo by Ryoichi Shimizu

 事の発端は、住民が利用する駐車場が敷地内に設置されていなかったことだった。そのため車を所有する人は、外部に土地を借りて駐車場とし、独自に駐車場委員会を立ち上げて予算管理を行っていた。一方、現在の管理組合の前身である当時の自治会は、予算管理の方法などを巡って駐車場委員会とたびたび対立、いつしか両者は犬猿の仲となっていた。

 02年に多摩川住宅はむね団地管理組合が発足すると、自治会も駐車場委員会もその管轄下に置かれたが、旧関係者の間では相変わらずにらみ合いが続いていた。その後06年に、敷地内に駐車場を整備するプロジェクトがスタートする。

 そこで立ち上がった団地内駐車場委員会には、旧自治会と旧駐車場委員会のそれぞれの上層部が参画していたこともあり、議論は紛糾。時に激しい言い合いも起きたという。こうした「駐車場問題」に、管理組合法人は全力で取り組んだ。

「実はこの頃、ハ・ニ・ホ・ト各号棟の理事長の間では、すでに建替えに向けた議論が始まっていました。組合としては、駐車場問題を解決することで住民の団結を促し、その先の建替えへとつなげていきたいという強い思いがありました」(大町氏)

 実際に、初めこそ対立していた人々も、具体的な計画を前に顔を突き合わせて議論を続けていく中で、次第に心を通わせ、いつしか同じ団地に住む住民同士として、歩調を合わせ駐車場問題に取り組むようになった。最終的に、08年に駐車場は敷地内に増設された。そのころには「雨降って地固まる」の通り、住民間のわだかまりはほとんど消え、団結して団地の未来を考える土壌が築かれていた。

 その後、行政との交渉も着実に進んでいく。歴史の古い大規模団地の建替えでほぼ必ず必要になるのが、都市計画上の「一団地の住宅施設」または「一団地の建築物」の指定を解除する手続きだ。容積率や建築に関わる規制など、昭和の時代に定められた都市計画上の制約を取り払い、建築上の自由度を高めるのが定石となっている。

 指定解除にあたっては、新たな都市計画を行政に提案し、それが承認される必要がある。多摩川住宅では、16年に多摩川住宅街づくり協議会が調布市・狛江市に街づくり提案書を提出、翌年に両市が住民の要望を生かした「多摩川住宅地区計画」を決定、一団地の住宅施設の認定を解除した。いよいよ街づくりと一体化された巨大な再生事業が緒に就いたのである。

「新たな団地の模型も完成し、素晴らしい場所になる、とわくわくしていました」(野﨑氏)

 そんな期待を託した計画は、思わぬ形で頓挫することとなる。17年1月。はむね団地の土地の所有権は非常に特殊な設定がなされているという事実に突き当たった。

「各棟の敷地は、一般的には19棟820戸の住民が均等な割合で所有する形になっています。しかし、東京都住宅供給公社による登録を見ると、3号棟と4号棟の2棟と、それ以外の棟とで所有権が別々に設定されていたのです」(関氏)

 結果として、はむね団地の土地の所有権は19棟のうちの2棟に属する土地A、それ以外の棟で所有する土地B、そして公園や給水塔といった共有の土地Cという3種が存在することが判明した。

 建替えを前にこれらの所有権をどのように整理するか。決定には、基本的に所有者全員の合意が求められる。ただ、現実として全員が合意することはまず考えられない。反対する者はいる上、転居などがあればその都度、新たな住民の合意を得る必要があるからだ。

「結局のところ、まず3つの共有地という難題を解決する必要が出てきたのです」(大町氏)

俯瞰はむね団地(ハ号棟)の全貌。5階建ての住戸19棟が整然と並ぶ。現在は敷地内に駐車場を設置済み 左/写真提供:関昭弘氏  右/Photo by Ryoichi Shimizu
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