コンビ再結成後に相方が「世界のナベアツ」としてブレーク
再び解散し仕事が激減する!

──コンビを解消したのが1998年。でも、6年後の2004年には、「ジャリズム」を再結成していますね。

山下 サラリーマンとして、勤めていた芸能事務所から「マネージャーか、芸人か、どっちかに専念しろ」と言われ、それなら安定収入が得られるマネージャーに専念しようと気持ちが傾きかけていたんです。でも、その話を松本人志さんから聞いた元相方の渡辺が、「もう1回やらへん?」と誘ってくれて。正直、嬉しかったですね。

 再結成後は渡辺が「世界のナベアツ」として大ブレークしたことで、“じゃないほう芸人”として僕も仕事が増えたんです。しかし、渡辺が「落語家の道に進みたい」ということで解散することになりました。解散後は仕事が激減して「芸人だけじゃ食べていけへん。何かほかの仕事も探さな」とジタバタしていたときに、うどんと出会ったんです。

今田耕司さんと宮迫博之さんから計1000万円借金!
自己資金ゼロで開いたうどん店

──山下さんといえば、関東を中心に18店舗を展開する人気うどん店「山下本気うどん」の創業者としても知られています。なぜ、うどん店を始められたのでしょうか?

山下 香川出身ということで、全国のうどんを食べ歩いた感想をツイッター(現X)で呟いていたら、フォロワーから「新宿に絶品のうどん屋がある」という情報が舞い込んだんです。実際に食べてみると、本当にウマかった。それで「このうどんと同じ味が出せたら、絶対儲かる!」と思い、図々しくも店主に「教えてください」とお願いしたところ、快く受け入れてもらって。

 それから約1年、材料の仕入れから、麺の打ち方、ダシの取り方まで徹底的に学ばせてもらいました。お店まるごとの「完コピ」を目指し、全部体に覚え込ませた感じです。

──満を持して、2012年6月に「山下本気うどん」を開業されています。準備はかなり大変だったのでは?

山下 何しろおカネが全然ありませんでしたからね。先輩芸人の今田耕司さん、宮迫博之さんに500万円ずつ、計1000万円借りて、何とか開店にこぎ着けました。でも、苦労の甲斐あってオープン後は、メディアが取材してくれたこともあり、予想をはるかに超える盛況ぶりでした。大人気店の味をほぼ忠実に再現したので、当然の結果かもしれません(笑)。

──売上は順調だったんですか

山下 想像以上に成功しました。お笑い芸人時代の収入とは比べものにならないほどです。しかし、開業当初は、先輩芸人たちから借りたお金の返済に追われる日々でした。少しでも早く返済するために、自ら厨房に立ち、接客もこなして人件費を極限まで抑えました。目黒駅近くという最高の立地にもかかわらず、家賃が20万円以下ですんだことも、経営を大きく助けました。

 毎日休まず店に立ち続けた結果、1000万円の借金を、わずか2年で完済することができたんです。

外食チェーンに商標権を売ってうどん屋経営を辞める
1億円を元手に株式投資スタート!

──うどん屋の経営は、いまも続けているのですか?

山下 いえ、実は外食チェーンのガーデンに商標権を譲渡しました。現在はその企業が運営しており、私はプロデューサーという立場で関わっています。売却の際、ガーデンの株式も一部譲り受けました。その後、ガーデンが東証グロース市場に上場して、私は時価総額約160億円の0.6%を保有する、上位10位に入る大株主となったんですよ。

──すごい。どうして、経営を辞めてしまったんですか?

山下 ひと言で言えば、ストレス(笑)。人を使うのに向いてないなと思って。後輩芸人たちがアルバイトをしてくれたんですが、前日の深夜に「明日行けない」とか、寝坊・遅刻するのが当たり前。とにかく管理が大変だったんです。

──いまの収入源は?

山下 主な収入源は、うどん店のプロデュースと「インタビューマン山下」名義での雑誌ライター業です。また、商標権の売却益と、10年間のうどん屋の利益を合わせて1億円ほどになったので、それを元手に始めた株式投資ですね。最近ファイナンシャル・プランニング技能士の資格を取ったので、この知識も活かしていきたいですね。