メディアでは、活動休止を無責任だとする質問に対して、非難が殺到している。ニュースやワイドショー番組のコメンテーターが「どこが無責任だというのかわからない」「誰が無責任だというのか」「みんなイラッとした」などという意味の発言を繰り返している。

 記者会見の一問一答からも、メンバーの表情からも、そして、相談してきた期間、活動休止までの期間を考えても、今回の活動休止に関して、責任ある言動をしているように、筆者も感じる。

 しかし、この「無責任じゃないかという指摘」は、ビジネスの世界で長い休暇取得や転職を申し出た時に、必ずといっていいほど出るものだ。その意味で、「無責任じゃないかという指摘もあると思うんです」という質問をした記者は、質問すべきことを質問したといえる。

休暇や転職申し出で
必ず問われる責任性

 日本企業では、特段の理由があっての長い休暇であっても、十分検討をしてきた転職であっても、それを申し出た途端、「抱えている仕事に対する責任は果たせるのか」、「会社に対する責任をどう考えているか」というリアクションに直面する。

 転職も同様だ。「仮に辞めるとしても、責任を果たしてからにしてはどうか」という引き留めが必ず出る。

 そして、「評判を落とすと、戻ってから仕事がやりづらくなる」、「どこに転職しても評判はついて回る。狭い社会で仕事ができなくなる」と、休暇取得や転職の撤回を求められる。このように言われて、休暇取得や転職を断念したことのある人は、少なくないに違いない。この「無責任ではないか」というフレーズには、実に大きな抑止力があるのだ。

 帰属する組織への責任を果たすことと、一人ひとりそれぞれが持つ、自分の裁量で仕事を行っていきたいという思いを実現することは、しばしば両立が難しい。組織への責任を果たそうとすれば、自分自身がやりたいことができなかったり、自分がやりたいことを実現しようと思えば、組織への責任を果たすことができなかったりという状況が生じるからだ。