ところが、2カ月後に着任した次の所長が、その方針を覆した。死確者(編集部注/死刑確定者の略語)は、生きて刑場に立ってこそ、罪を償ったことになる。そんな思いが強い所長だった。早速、大阪医療刑務所に連絡を入れ、手術の手配をする。日程が決まった直後、永友は居室内で吐血した。それにより、急遽、日にちを前倒しして手術が行なわれることになった。ただちに用度課が動き、名古屋刑務所所有の救急車を借り受けた。
救急車を運転するのは、用度課の職員、および処遇部の職員だ。そして大阪までの車中、永友のつき添いを命じられたのが寺園である。
あの日は、娘の19歳の誕生日。家族そろって外食をする予定だったが、寺園は、それをキャンセルして、救急車に乗り込んだ。
ストレッチャーの上に寝かされた永友を前にして、今と同じく、手錠がかかった手首に、ずっと指を当てていた。ただ、今と違うのは、生存を願っての脈拍測定だった。
大阪医療刑務所に到着する直前、痰が詰まったような声で、永友に訊かれた。
「寺園さん……、死刑に関わったことは?」
寺園は、小さく頷いて応えた。
少し間が空いたあと、しゃがれた声が返ってくる。
「わし……、人を殺した自分が嫌で嫌でたまらんのですわ。だもんで、死刑執行をする人の気持ちが分からんでもないです。わし、寺園さんに嫌な思いはさせとうないもんで……。どうか、このまま死なせてちょう……」
何も答えられなかった。
あの時の寺園の仕事は、何がなんでも永友を生かし続けることにあったのである。
幸い、大阪医療刑務所での手術は成功した。その後、2カ月間の抗癌剤治療が実施される。徐々に状態が改善し、永友は、癌患者とは思えない体つきになって戻ってきた。癌を抑え込もうと、筋力トレーニングを続けた結果だそうだ。
生きているような目に
死を確かめるライト
あれから3年半が経ち、彼は今、目の前で命を失おうとしている。
「寺園さん、脈はどうですか」
医務課長の声がした。うつつに返った寺園は、「間もなくですね」と答える。もうほとんど、脈は伝わってこない。
寺園は、集まってきた警備隊のメンバーに、目で合図を送った。
警備隊員2人が、永友の手錠を外し、両足に巻きつけられていた縄も解く。