12月7日の参議院予算委員会で池田勇人蔵相は「戦争前は米100に対して麦64のパーセンテージだったが、今は米100に対し小麦95、大麦85。大所得者も小所得者も同じ米麦の比率でやっている。私は所得の少ない人は麦を多く、所得の多い人は米を食うような経済の原則にそったほうへ持って行きたい」と発言する。「お互いに苦しいときは麦飯を食べて頑張ろう」という真意だったのだが、「貧乏人は麦を食え」と伝わってしまう。
朝鮮半島の38度線で南北両軍が衝突した「朝鮮動乱」が始まる中、年末に菅原都々子が『アリラン』『トラジ』など古い朝鮮民謡を改めて発表。戦中、李香蘭として満洲映画のスターだった山口淑子は、「実は日本人だった」と映画界にカムバックしていたが、歌手としてもこの年、中国歌謡『夜来香』を広めた。
さらにアメリカ産の歌も。ボブ・ホープ主演のアクション・コメディ『腰抜け二挺拳銃』主題歌『ボタンとリボン』を池真理子がカバー。(BUTTONS AND BOWS)の発音が日本人には、「バッテンボー」と聞こえ、田舎の子供までが歌いまくった。
子供と言えばレコードデビュー2年目、13才の美空ひばりが『東京キッド』『越後獅子の唄』と連打。なぜひばりは「時代の申し子」となったのだろう。
「子供は童謡を歌う」というルールが童謡界のスター、川田正子の引退で崩れたことも要因ではある。川田を支援していた子は彗星のように現れた次なる少女、ひばりをたやすく受け入れたのだ。
年齢が近い彼女への親近感であり、まだ「浮浪児」があふれる戦後日本の現状と重なった。“子供でも働く”彼女は、自分たちの代表でもあったのだ。さらにその歌唱力と演技力に大人たちまでもが吸い込まれていく。
それまで「歌謡界の女王」に君臨していた笠置シズ子ほどの存在が、“豆歌手”美空ひばりの急成長によって一気に足元をすくわれ、この年の『買物ブギー』を最後に大ヒット曲から見放されるという現実は、時代の移り変わりだけでは説明できないものがあった。