そこで「エレジー」に変更されたのだった。この時期のレコーディングは、演奏の楽団と歌手の同時録音で、それもワックス盤という蝋でできた盤に吹き込む方法だった。演奏、歌ともに一度でも失敗すると、その蝋盤は使い物にならなくなり破棄される。生前、近江に直接聞いたことがある。

「曲をいただいたときはうれしかったですね。でもいざレコーディングになると緊張してしまい、どうしても出だしの(伊豆の)の“い”の音が低くて出ないの。(ズーの山々)と聞こえてしまう。NG出すたび余計緊張しちゃって。結局、1日目のレコーディングはダメで、“どなたかほかの人に”と頼んだんです。こんなすばらしい作品を自分の不甲斐なさで埋もれさせてしまうことが恐ろしかったんです。

 するとギターを演奏してくださっていた古賀先生が、“日を改めてもう一度やろう。それでダメなら諦める”とおっしゃられて。でも日が改まってもダメなんです。技師の方が“近江ちゃん、蝋盤これが最後の1枚だから”って…。忘れもしません、最後の16枚目になっていました。最後の最後の1枚で、“何とかこれなら行けるかな?”とようやくOKをもらったんですよ」

「戦後最大のヒット曲」は難産の末、こうしてこの世に生まれた。

この年を彩ったその他のヒット曲
●『あこがれのハワイ航路』岡晴夫
●『異国の丘』竹山逸郎、中村耕造
●『おてもやん』赤坂小梅
●『君待てども』平野愛子
●『君忘れじのブルース』淡谷のり子
●『恋の曼珠沙華』二葉あき子
●『三百六十五夜』霧島昇、松原操
●『シベリア・エレジー』伊藤久男
●『東京の屋根の下』灰田勝彦
●『長崎のザボン売り』小畑実
●『懐しのブルース』高峰三枝子
●『ブンガワン・ソロ』松田トシ
●『南の薔薇』近江俊郎

1950年(昭和25年)
時代の申し子、美空ひばり登場

 従来の数え年の習慣(ならわし)が1月1日より「満年齢」を通例とすることになり、正月から「年とり」の意味が消えた。1月7日には聖徳太子像の千円札が発行された。