![菅義偉が原爆の「黒い雨訴訟」で上告断念を決断できた理由、“受け入れ困難”でも被害者救済を優先](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/3/3/650/img_331d106edda011e84e9ad85839e9d6e4238256.jpg)
原爆投下の際の雨によって健康被害が生じたとされる、いわゆる「黒い雨訴訟」。原告が勝訴した高裁判決では、上告すべきだという意見もあったが、私は被害者救済のため、上告断念を政治決断した。そのときの判断を振り返ろう。(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)
原爆「黒い雨訴訟」の上告断念
被害者救済を優先
2021年8月6日、広島の地で平和記念式典に参加するのに先立ち私が言葉を交わしたのは、いわゆる「黒い雨訴訟」の原告である高東征二さんと高野正明さんだった。
「長い間、ご苦労をおかけしました」
そう私が伝えると、お二人からは謝意と要望が述べられた。謝意は、式典に先立つ7月26日、政府が「黒い雨訴訟」の上告を断念した件についてであり、要望は、それを受けて原告と同様の状況にある人々に被爆者健康手帳を交付してほしいというものだった。私は「できるだけ迅速に対応します」と答え、式典に臨んだ。
続く式典のあいさつでも、「いわゆる『黒い雨訴訟』につきましては、私自身、熟慮に熟慮を重ね、被爆者援護法の理念に立ち返って、上告を行わないことといたしました。84名の原告の皆さまには、本日までに、手帳交付の手続きは完了しており、また、原告の皆さまと同じような事情にあった方々についても、救済できるよう早急に検討を進めてまいります」と述べた。
「黒い雨訴訟」は、原爆が投下された後に降ったとされる「黒い雨」によって健康被害を受けた人たちに対し、他の被爆者と同様に被爆者健康手帳を交付するべきではないかとの当事者の訴えから始まった。
「黒い雨」には放射性物質が含まれており、この雨を浴びたことによって放射性物質が体内に取り込まれ、内部被ばくを受けたとするものだ。雨による内部被ばくも、原爆でじかに受けた被爆と同様に救済すべきでないか。そうした訴えは終戦直後から存在していた。
国は1957年に原爆医療法(現被爆者援護法)を施行して以降、援護対象を拡大してきた。被爆者援護法は、「他の戦争とは異なる特殊の被害」を受けた方々を救済するために制定されたものだ。
76年には、「黒い雨」が降ったとされる地域の中でも、特に大雨が降った地域を健康診断特例区域と定めた。そして健康診断の結果、「放射線の影響を否定できない」と定める11障害を伴う病気があった場合、救済の対象者となり、医療費の自己負担がなくなる被爆者健康手帳を交付している。
11障害には、肝硬変、白内障、ネフローゼ症候群、肺気腫などが含まれる。だが同じ集落でも区域の内外に分かれてしまう地域があり、被爆者を線引きするのはおかしいとの指摘が当事者からなされてきた。
それでも80年に当時の厚生大臣の諮問機関が出した「被爆地域の指定は、科学的・合理的な根拠のある場合に限定して行うべき」とする意見書を採用し、対象区域の見直しをしてこなかった。実際、内部被ばくの影響については、科学的に明らかになっていないことも確かだった。
区域外で黒い雨を浴びた広島の人たちが広島県「黒い雨」原爆被害者の会連絡協議会を結成し、国への陳情を行ってきたが、対応がなされず、84人の原告団が国を提訴したのは15年のことであった。それから5年後の20年に広島地方裁判所が原告に勝訴判決を出し、国が控訴して開かれた広島高等裁判所でも21年に一審を支持する判決が出たのである。