私が首相として臨んだG7では、対中議題のほかに、東京五輪に向けた各国の支持確約という大きなテーマがあった。その支持をどのようにして取り付けたのか。前回に引き続き、本稿では菅政権での外交を振り返ろう。(肩書は当時)(第99代内閣総理大臣/衆議院議員 菅 義偉)
東京五輪「開催支持」確約得たG7
英首相を重視する外交戦術が奏功
初めて「中国」が議題となった2021年6月の英国・コーンウォールでのG7首脳会談。対中戦略と並んで、わが国が追求した具体的成果は実はもう一つあった。それは、同年7月に開催が予定されていた東京オリンピック・パラリンピックへのG7での支持を確保することであった。
当時、東京大会の開催について、日本国内でも慎重論が根強かった。そもそも20年に開催予定だった東京大会は、新型コロナウイルスの国際的な感染拡大により1年の延期を余儀なくされていた。21年に入ってもコロナ禍は終息していなかったが、20年夏とは明らかに状況が変わっていた。ワクチン接種が進み、マスク装着や手洗いなどコロナ感染拡大防止のための新たなライフスタイルに人々は確実に適応し始めてもいたのである。
国際オリンピック委員会(IOC)からはさらなる延期はできないとの通告を受ける中、東京大会の開催の国際的機運を高めるためにも、G7各国から21年の開催に対する明確な支持を取り付けることが必要不可欠と考えた。そこで私は首脳宣言に「開催支持」との文言が明記されるようG7首脳会談での交渉に臨んだ。
その際に最も重視したのは議長国・英国のジョンソン首相の支持を得ることだった。ジョンソン首相は彼自身がロンドン市長時代にオリンピック・パラリンピックのロンドン大会を開催している。そうした経験を共有する同首相に対して私の東京大会開催と成功に向けた思いを伝え、共感を得ることが戦術的に有効と考えたのだ。
この狙いは奏功した。G7首脳会談開催に先立って行われたジョンソン首相との個別会談で、「東京大会を支持する」との言葉を引き出すことができたのである。
私は、ここでつくった流れを、直後のG7会談にそのまま持ち込んだ。初日の討議で私は東京大会の開催に向けた決意を表明し、「新型コロナという大きな困難に直面する今だからこそ、世界が団結し、人類の努力と英知によって難局を乗り越えていけることを日本から世界に発信したい」と各国の首脳に呼び掛けた。そして、これに呼応するかのように、議長たるジョンソン首相が「ここにいる全員を代表して東京大会の成功を確信している」とまとめてくれたのである。なお、東京五輪については、本連載の中で回を改めて振り返りたい。
さて、オリンピック・パラリンピック東京大会後に話は及ぶ。私は同年9月3日、その月末の任期満了後は自民党の次期総裁選には出馬せず、首相を退任することを表明した。その上で、退任の直前となる同月の下旬に予定されていた、対面では初となる日米豪印(QUAD)首脳会談に出席するために米国・ワシントンDCに向かった。