農水省の情報収集のお粗末さと、対応の遅さが
コメの「先高観」を醸成してしまった
一つ目の失態は、コメの生産量や在庫量を見誤ったことだ。農水省による統計調査の精度が低下していた上に、流通業者からの情報収集も不十分だった。
坂本哲志農水相(当時)は24年8月27日、「24年産米の生育は順調に進んでいます。(中略)出荷も前倒しで行われる見込みです。コメの品薄は、順次回復していくと見込んでいます」という楽観的な見方を記者会見で披露。さらに農水省は同日、コメの責任者である農産局長名で「(24年6月末の在庫量は)需要量との比較で見た在庫率(在庫量/需要量)で見れば、(近年では比較的在庫が低水準だった)11年、12年と同水準であり、全体需給としてはひっ迫している状況にはなく、十分な在庫量は確保されている」との文書を、JA全農や米卸などに送った。
8月は、コメの端境期であり、これまでも一時的、局所的にコメが不足することはあった。その際には、農水省が、米卸や農協に出荷や精米の前倒しを依頼するなどして事なきを得てきた。もし、24年夏にスーパーで品切れになる前に欠品リスクを察知して、精米や物流の施設のフル稼働を要請していれば、コメの流通関係者の「先高観」は現在ほど強くなっていなかっただろう。
農水省の幹部は24年末になっても、「コメは全体を見ればひっ迫していない。いま備蓄米を放出すれば混乱を招く」などとコメントし、介入に慎重だった。ところが、年が明けて25年2月14日に一転、江藤拓農水相(当時)が備蓄米を21万トン放出することを公表した。農水省関係者は、「首相官邸から備蓄米を放出すべしという圧力が強くなっていた。インフレの原因としてコメがやり玉に挙がってしまった」と明かす。市場介入は、官邸主導で行われたのだ。
しかし、ここに至っても、農水省は本音では備蓄米の放出には消極的だった。なぜなら、コメの相場に一度介入すれば、「米価は市場が決めるもの。価格が下落しても政府による買い入れはしない」と、コメの買い支えを求める農協や自民党農水族の圧力をはねのけてきた努力が水泡に帰すからだ。しかし、前年8月の初動でミスを犯していたこともあり、農水省は官邸の方針にあらがうことはできなかった。
その後の顛末(てんまつ)はメディアで盛んに報じられている通りである。一般競争入札で落札された高価格の備蓄米を、買い戻すことを前提に放出したので、米価を抑える効果は薄かった。
つまり二つ目の誤りは、コメの暴騰を緊急事態と位置付けて「特例的」に備蓄米の放出に踏み切るならば、その決断は遅すぎたということである。霞が関の常識に従って一般競争入札を行ったこともそれに付随する判断ミスといえる。
もし24年秋に、安い備蓄米を小売店に流していれば、81万トンもの大規模介入を行う必要はなかったかもしれない。
令和のコメ騒動を巡る政府の対応は、後手に回ったと言わざるを得ない。例えるなら、戦力の逐次投入という悪手を重ねた末に、戦況が好転しないので、大量破壊兵器を多用しているような状況だ。それによって損なわれるのは、政策の規律や農家の経営だけではない。将来的には消費者も、政府によるコメの買い入れや農家への所得補償といった財政負担を引き受けることになるだろうし、将来のコメの生産を担うはずだった農業法人が倒産すれば、食料安全保障が揺らぐことにもなりかねない。
前掲の『小泉農水相の備蓄米放出で「米価暴落」と「農業法人倒産」リスク増大!食料安全保障を脅かしかねない事態に』でも指摘したが、筆者は備蓄米の大量放出(特に、直近の20万トンの追加放出)は、ポピュリズム的だと考えている。農水省による一つの政策判断のミスが政治の介入を招く結果となり、市場原理を重視してきた近年のコメ政策がゆがめられることになった。
政府は27年度から、減反廃止を柱とする新たなコメ政策に移行する方針だ。石破茂首相と小泉農水相は、コメ産業が自立的に成長できるようになる道筋を早期に示す責任がある。ただでさえ弱体化しているコメの生産現場を、政府による市場介入でさらに痛めつけるようなことは避けなければいけない。