また、ちょうどその時期は応仁の乱が終わった後の、世情が落ち着いていなかった頃です。政元がオカルト的なことをもとに行動したり発言したりして、周囲に「こいつは得体の知れない力を持っていて不気味だ」と思わせることで、むしろ世の中を安定させることに対してある程度効果を発揮し、一定の落ち着きを取り戻させた部分はあるのかもしれません。

 変わった人間が変わった方法で力を振るうということが必ずしもハマったとは思いませんが、一定の機能を果たした、とは言えるのでしょう。

 16世紀になり、政元の考える構想がそれなりに機能するようになってきたことで、世の中もある種の落ち着きをみせるようになります。落ち着いた状態で政権運営をする上では、政元が持っている「おかしさ」がマイナス方向へ働くことになってしまいます。

 これは現代における政治家などでもそうですが、動乱や混乱時代に活躍できる人物と、平穏な時代に機能する人物は持ち味や適性が大きく違うわけです。自身の性質と世情が合致していればいいのですが、逆になってしまうとその人物にとっても世間にとっても大変不幸なことになります。

 政元はやはり、雑然と混乱しているいろいろな物事を、不思議さ加減や変わっている性質から来るある種の腕力で強引に引っ張っていくというリーダーシップ的なものは持っていたと考えられます。

 しかし、フェイズが変わってしまうと、途端に周囲との関係が危うくなってしまいます。

 状況が混乱している時には、政元の「空を飛んで越後に行きます」のような発言は、その能力に頼る形で、「おお、それができるのであれば早いほうがいいよね」「人知を超えた力を持ってる人はいいね」といった反応が平時よりも返ってきやすい状況でした。

 しかし、情勢が落ち着き、安定した政治が求められるようなフェイズでは、政元の奇矯な行動に対して批判的な反応が集まり始めます。だからといって、オカルト的な考え方はすでに政元にとっては拠って立つところになってしまっているので、やめることはできないのです。

 結果、周囲には「もっとちゃんとしてください」と言われ、「烏帽子ぎらい」や「人に対して大声で呪詛を唱える」などの性質を抑えるように求められ、最後にはそれらを理由にして殺されてしまうのです。