革新を起こした政元を
再評価してみる

 この背景には後継者争いがあるわけですが、それだけでなく「政元のような時代にそぐわない人間が細川氏の(あるいは幕府の)代表であっては困る」と世間が要請しての暗殺なのです。

 その意味で、生涯の前半ではオカルト的なものに拠って立ち、ポジティブな効果を発揮していったけれど、ネガティブに評価される面が生涯の後半に強く出てしまったため、最終的に後世で評価されないことになってしまったのだと考えられます。

 しかし、彼が目指していた方向性は、時代の先取りとまでは言えないかもしれませんが、評価するべき部分は多々あったと思います。政元の時代は、これまであった常識やルール、価値観などがすでに制度疲労を起こしており、変えなければいけない時期に来ていました。

 政元はその危機感から、国を作り変えなければいけないという行動原理によって動いていたと考えられます。

 現代でもそうなのですが、何か新しいことをしようとしたら必ず反対されるものです。しかも当時は現代よりもっと制度に対する規制が強かったでしょうから、そこでひとりだけで何かやったとしても、「変人だ」で終わってしまう可能性も高かったでしょう。

 実際政元はそれで命を落とすわけです。その意味では非常に革新的というか、時代と比べてちょっと早く生まれてしまった人間だったのではないか、と思います。

 オカルト的な言動に周囲は振り回されましたが、彼のような少々変人ではあるけれど、ある種の筋を通して世の中を変えることにパワーを注ぎ込む人がいたからこそ、古い室町時代から新しい戦国時代という時代の扉を開けられたのだろうと思うのです。

 細川政元の存在は「時代を変え、動かす」という意味において非常に大きな役割を担っていたと言っていいでしょう。