古野 貢
生まれながらのスーパーエリートが「オカルト武将」に覚醒した最大の転機
室町時代に10年にわたって続いた応仁の乱により父・勝元を亡くした武将・細川政元。7歳という幼さで家督を継いだゆえに、細川家の代表という立場でありながら自分で思い通りの政治をできず周囲に翻弄される幼少期を送った。元服した政元がオカルトを利用した独特の政治スタイルを獲得したのは、そんな生い立ちが大いに関係しているのだ。※本稿は古野 貢『オカルト武将・細川政元 室町を戦国に変えた「ポスト応仁の乱の覇者」』の一部を抜粋・編集したものです。

デスノートかよ!「呪いのお経」で恐れられたオカルト武将の正体
室町時代、応仁の乱を経た不安定な世情で絶大な権力を握った武将、細川政元。彼のオカルト政治をいまになって見返すと、時代の先を行く独自性に満ちているとも言える。その大胆さゆえに最終的には身を滅ぼしてしまうのだが、彼の革新性とカリスマ性は我々現代人も見習うべき部分がある。政元を再評価するともに、時代を先取りしすぎた男の人生を教訓として学んでほしい。※本稿は古野 貢『オカルト武将・細川政元 室町を戦国に変えた「ポスト応仁の乱の覇者」』の一部を抜粋・編集したものです。

信長より先に「将軍追放」「比叡山焼き討ち」を果たしたオカルト武将の名前
室町時代後期から戦国時代初期にかけて活躍した細川政元は、足利将軍を追放し、信長よりも先に比叡山焼き討ちを実行するなど、破天荒な行動で絶大な権力をふるった武将だ。しかしその素顔は、出家して僧となりながら政務を執り、オカルトで国政を動かした変人とも言われている。この革新的すぎる政治スタイルがゆえ最期は暗殺されてしまうが、彼の行動にはしたたかな「策略」が見出せるのだという。※本稿は古野 貢『オカルト武将・細川政元 室町を戦国に変えた「ポスト応仁の乱の覇者」』の一部を抜粋・編集したものです。
