しかし、死者を宥めるためにお経を唱えるのではなく、他者を呪咀するためのお経(少なくともそういうことができると人々に信じられているお経)を、平気で唱えるようなことがあれば、それは「いったい何をするんだ」「なんと危ない人だろう」と思われても仕方がない話です。

 現代エンタメで言えば“デスノート”、つまりそこに相手の名前を書けば人が殺せるノートを堂々と持って歩いているようなものです。

 現代の感覚ですと、いくら呪詛であってもお経を唱えるだけならさほど怖くないように思えます。しかし、当時の常識では違います。

 たとえばよく知られている伝統的な呪詛に、藁人形に釘を打ち込むものがあります。科学的には何の効果もなかったとしても、知識のない人々は実際にやられてしまうと苦しくなってしまうわけです。

 そのような非科学的な部分、思い込んでしまうところに関わってくるのがオカルティックな人々であり、一般人の目からすると、政元はやはり「近づかない方がいい人」という扱いになって当然でしょう。

不気味な力を持つ人物としての
認知が広がっていった

『足利季世記』での記述も、政元がオカルト的なことに傾倒して、理屈の外の世界にいる神に由来するような特別な能力を得ていたことについて「一般の人たちが大勢知っているはずだ」のような形で書かれています。

 これは、彼を畏怖し遠ざける評判がかなり普遍的に広がり、ある種の常識になっていたことを示すのでしょう。実際に政元が愛宕の力や飯綱を操る方法を持ったかどうかはこの際、横に置きましょう。

 当時の人々の感覚としては「政元が何か変なことをしている」「政元は何をするか分からない人間だ」「政元は不思議な力を持っているに違いない」という三段論法的な理解がなされて、評判が作られたのだろう、と考えます。