この裏付けになるのが、政元が修法を修めたり、鞍馬寺で兵法を学んだりしていることです。現代においても史料で確認できる事実が、当時の人々の目では「そこで一緒に不思議な技も学んだのだろう」と繋がっていくのは容易に納得できるでしょう。

 あらためて細川政元が何を求めて呪術や天狗修行などのオカルトに辿り着いたのか、そしてその結果がどうなったのかを見てみましょう。

 政元は幼くして家督を譲られ、その周囲は大人ばかりで細川氏の維持や幕政、戦争など大きな課題について「ああしろ、こうしろ」と指示(指導)されてきました。また、元服した途端に拉致されてしまうという事件が起きて政治的な駆け引きの道具にされる経験もしています。

 その中で聡明であった政元は、「どうして自分は細川氏の当主という立場であるのに、自分の意思で動くことができないのか。意思が立場に追いついていないのはなぜなのか」と考えたはずです。

 そうなりますと、「自分の思いや考えていることを実現したいなら、このままでは駄目だ」と考えるでしょう。では、どんな手段を取り得るのか。

 正攻法としては年齢を重ねて出世し、より大きな力を持つことがあるわけですが、それとは別の武器が必要なのではないかと考え、その帰結として魔法を身につけるなどのオカルト的な方面へ向かったと考えられます。

不安定な時代が去っても
オカルトをやめられなかった政元

 実際のところオカルトへの傾倒はある程度目的意識があって演じていたのか、本物だったのかはよくわかりません。ともあれ、彼が奇矯に見える行動を表に出していくのは青年期から壮年期にかけてのことで、その時期の前半には周囲から「こいつは不気味な力を身に付けているから、とりあえず言うことを聞いておいたほうがよさそうだ」と思われるような対応をしていたと考えられます。