笹山順蔵(編集部注/林蔵の長男)とミドリの間には5人の娘があり、母ミドリが下の娘たちの子育てに忙しい間、長女の慶子はハルおばあちゃんの手で育てられました。ハルはよく慶子を連れて、少林寺へお参りや相談に通っていました。

 昭和7年生まれの慶子は、忠松と6つ違いです。わんぱくだが、やさしいところもある忠松は、慶子と一緒に片町あたりを歩いたり、何かと面倒をみてやったりしていました。そのうちに慶子は淡い想いを抱き、ハルも忠松の人柄を見込んで、2人の結婚を切望するようになっていました。

「忠松さんと結婚できなければ、もう誰とも結婚しない」

 慶子は勇気を出して母に訴え、結婚話が動き出しました。兄の松禅は忠松に「兄が寺の跡を取る、弟が社会に出る。それでいいか?寺とはわけがちがって、つらい目にあうかもしれんぞ」と言いました。

 忠松はすべてをのみこんで慶子との結婚を選び、内外薬品商会を背負っていくことになりました。

 忠松25歳、慶子19歳、昭和26年の秋のことでした。

笹山忠松同書より転載

薬局・薬店に向けた
新たなチャレンジ

 忠松は結婚前に金沢市役所を辞め、原料薬品を供給していた辰巳化学に勤めて仕事を覚えてから、内外薬品商会に入社しました。忠松は外から入った者ゆえに、会社の将来を冷静に見通していました。

 内外薬品商会はケロリンをはじめ配置用の薬の生産が好調でしたが、全国に薬局・薬店が増え、消費者が薬を選べるようになってきました。このまま配置用だけでは先細りになると予感した忠松は、ケロリンを薬局・薬店にも置いてもらうことを提案します。

 しかし、戦前からの商法を守る番頭たちには、忠松の積極策が無謀としか映りませんでした。忠松は説得が無理とみるや、とにかく実績をつくろうと若い営業マンを引き連れ、自ら陣頭に立ってケロリンの全国キャンペーンに出発します。ケロリンの名入りの車を12、3台も連ねたキャラバン隊を率い、全国の薬局を回りました。